ら2字上げ](久保正夫氏宛 九月七日。庄原より)

   寮舎にまなぶ美しき妹

 先日は妹がお訪ねしましたそうですね。妹からの手紙にもあなたのお母様にお目にかかったことや昼飯をいただいたことなどかいてありました。あれも寮の生活が御存じのとおりなので居心地の悪いのも無理はないと思われます。昨日はまたおハガキ下さって私の宿のことを心配して下さって実に何から何までありがとうございます。私はなぜにあなたたちにこのように愛され、そして私の上京が、何かの大きな祝福をでももたらすかのように悦び迎えらるるのかわかりません。それにつけても正夫さん、私はまた少しく不安なことをこの手紙に書かなくてはならない事になりました。
 私は十月初めにはもはや上京することと心に定めて人々にもその旨を通知などもいたしました。
 そしてあなたのお手紙で宿も適当なのが見つかったので昨日私は父に相談いたしました。しかるに私は父の話をきいているうちにしだいに暗い、淋しい心地になり後にはもう上京したくないような気になりました。実は私の姉が肺が悪いのです。私は温泉からかえるまでは全く知らなかったのですが、私の留守のあいだに悪くなり、そしてこの頃はだんだん悪くて発熱したり、せきがかなりはげしくなって、どうも病勢が進みそうなのです。この姉は私が家出すれば私の家をつぐべき大切なからだで、両親はおもにこの姉を力にしていたので、私も姉の病気については少なからず心を痛めてはいたのです。で父のいうのには、今のうちに姉を海岸の温かい土地にやって保養させたいというのです。それには女の身で病気ではあるし、ひとりはやれない。するとお前も上京すれば、四人も出ることになる。そうなれば家のうちも急に淋しくなるし、だいいち費用がたまらない。それでお前だけは、今上京しなければならないときまった用事もない身ゆえ、姉が保養して帰るまで一、二か月の間は家にいてくれ、そうすれば気丈夫にはあるし、費用もたすかるというのです。私は、黙って承諾するよりほか仕方はありませんでした。私はつねづね両親をも隣人のようにして対したいと思っています。私には何のかいしょうもないのですから、私は与えてくれる以上のものを父に求める気にはなられません。それにながい間心配ばかりさせているのですから。父はまあ姉と相談してみることにしようと申しました。私は、私としては姉が養生するあいだ私の宅にとどまるのが私の道であろうと思います。それで私は今は東京で姉と家持ちをすることを考えています。艶子と三人で、郊外に一軒借りて、女中をひとり置いて暮らしたら、かえって経済的にもなって好都合であるまいかと思われます。その事について私はこの四、五日のうちに相談して決める気でいます。でおハガキの家はしばらく取り決めずにおいて下さいませ。このような内輪のことまであなたに話さなくてもいいのですけれどつい話してしまいました。みんな私の上京するのを悦び待っていて下さるのですから私はなるべく上京したいのです。どうもさまざまな障りができて私はつくづく先のことは決められないと思います。私は今は少ししょげています。けれど失望はいたしません。何もかも耐え忍びます。もう四、五日の間お待ち下さいませ。
「よくなろうとする祈り」は少しずつ筆をすすめています。「母たちと子たち」は妹の次ぎに私が読ませてもらいましょう。
 あなたは幸多き日々を送って下さいませ。私はどうも何もかも私のくわだてることは成就しないような気がしてなりません。けれど私の希みはますますはるかにそしてたしかになって行くばかりですから心配して下さいますな。
 謙さんにもこの手紙の旨を伝えて下さい。私はやさしい謙さんが私のために失望してくれはしまいかと気の毒です。どうぞどうぞしあわせに暮らして下さい。
[#地から2字上げ](久保正夫氏宛 九月二十八日。庄原より)

   親子の愛と知性の愛の矛盾

 私はまたしばらく御無沙汰いたしました。あなたは仕事に充ちた、そして文化の吸収に余念のない生活をしていらっしゃいますことと存じます。からだを損わないようにして下さい。しかし風雪に鍛えたあなたの健康はなかなかたしかなもののようですね。妹をコンサートに連れて行ってやって下さった由ありがとうございます。あの子は美しい女性の生長に大切な宗教と音楽との教養が足りないと私は思います。私から彼女に影響するところは主として強い淋しい徳の感化で、豊醇な乙女心をなくさせるような気がして私はうれしくないのです。私としては仕方がありません。私は妹は、傷つけられない、ゆたかな生活がさせたいのです。私はすでに傷ついたところの不幸な魂に深い慰安を与えるような有徳の君子になりたいのですけれど。
 私の姉は一昨日養生に出発しました。どうか少しは快くなって帰ってくれればいいがと思っています。私はあれからまた悲しい思いにばかり訪れられましてね。私はこの頃はどうも私の両親の家にいるのが uneasy で仕方がないのです。両親を親しくそばに見ていると胸が圧しつけられるようです。私はあなた――母親思いのやさしい人に申すのは少し恥ずかしいけれど、どうも親を愛することができません。そしてまた母の本能的愛で、偏愛的に濃く愛されるのが不安になっておちつかれません。それでおもしろい顔を親に見せることはできず、そのために両親の心の傷つくのを見るのがまたつらいのです。私はわがままな子なのですよ、私の妹に家庭における私の様子を聞いてみて下さい。私はただ朝から晩まで苦しい苦しいで暮らしています。いっそのこと親が他人ならば私は苦しくても笑顔を向けて愛そうとするのに、親にはそれができないので悪い顔ばかり見せます。私はこの頃つくづく出家の要求を感じます。私は一度隣人の関係に立たなくては親を愛することができないように思います。昔から聖者たちに出家する者の多かったのは、家族というものと隣人の愛というものとの間にある障害があるためと思われます。私はあれからたびたび家を出ようと思いました。そして本田さんには長門の秋吉村の本間氏の大理石切場に行くように、また文之助君には京都在の西田天香という僧のところに行くように手紙にも書きましたほどです。しかしやはり私は躊躇《ちゅうちょ》しています。私の十字架は家に止まるほうにあるのではないかと考えます。私は私の家にいて、しかも私があなたや謙さんにするように私の両親を愛すべきでしょうか。けれどそれがなかなか困難なのです。私は依然として孝行ができません。家を出ればかえって孝行になれるのですけれど、私は家庭というもののなかには、とても安住できない人間のように思われます。私の両親ほど子に甘い親はありません。しかし私は親に対する不満と悲哀とをますます深くいたします。私はやはり出家の心、すべてのものを隣人として神の愛で愛したいねがいが強いのです。おそらくは将来はそのようになるようになるでしょう。そして親にもやさしい子になりたいと思います。
 私は今でも私にパンの保証さえあればそのようになりたいのです。パンだけは親に頼り、親のトイルの上に立って隣人となることはできないことです。といって私は病弱無能でとてもパンを得るかいしょがありません。正夫さん、これは実に切実な問題ですね。私はこの頃になって初めてキリストのパンの問題の解決が徹底したものだと思われだしました。キリストに従えば財産を貯えることはその心に適いません。「汝ら行くには二つの衣をも携うべからず」です。また家族関係もキリストの本意でないことは明らかに聖書でわかります。それならパンの問題はいかにしましょう。キリストはそれは「神様が保証して下さる」と信じました。主の祈りのなかにも「我らの日用の糧を今日も与え給え」とあり、「なんじら明日のことを思い煩うなかれ」とあり、「なんじら何を着、何を食わんと思い煩うことなかれ、ただ神の言葉を求めよ、さらばこれらのものはその上に加えられん、そは天に在る父は、これらのもののなんじらに無くてかなうまじきことを知り給えばなり」とあり、これと「求めよ、さらば与えられん」というのを一緒にして考えてみれば、キリストの理想は、パンを神にデペンドして出家することにあったと思われます。キリストはそのとおり実行しました。フランシスコもその約束の上に立ちました。また西田天香氏もその約束を信じて現に出家の生活を持続しています。他人から喜捨されたものを、神の賜物として感謝して受けて暮らしています。私はこの頃この生活法に大なる暗示を受けました。そして社会主義はこの信仰に立ちたる時、最も自発的な、内面的な調和を得、神の国の地上における建設はかくしてのみ得られるのではないかと思われだしました。私は、信仰の大切なこと、そして徹底した深いキリストの心地が感服いたされます。私は、けれどなかなか信じられません。パンを神にデペンドする大勇猛心が出ません。私はしかし私の将来を純粋の信仰生活のなかに築きたい気はもはやコンスタントな深い根を張ったねがいになっています。私はそちらの方角にしだいに深入りいたします。私は心の熟す期のいたるのを待っています。「善くなろうとする祈り」はあれから大分書きました。後もう二つ三つ書けば私の書きたいことはみな書くことになります。
 謙さんはどうしていますか。よろしくお伝え下さい。いずれ手紙を出します。私は姉の帰郷するまで庄原を出られますまい。苦しくなると出ようか出ようかと思いますが、やはり出ないでしんぼうするほうがよいと思われます。
 大切になさいませ。[#地から2字上げ](久保正夫氏宛 十月二十五日。庄原より)

   出家の願い

 久しぶりのお手紙懐かしく読みました。私こそ御無沙汰してすみませんでした。あなたは転宿なさいましたのですってね。居心地よろしゅうございますか。上野|倶楽部《クラブ》というのは私には見当がつきません。しかし不忍池《しのばずのいけ》のほとりならばまあ下宿としては眺めもあって結構と申さなければなりますまいね。あなたのこのたびのお便りは私にものかなしい感じを起こさせました。私も実はあなたとかなしみを共にするほかはありません。やさしい謙遜なあなたがそのような感じをお持ちになるのはまことにごもっともに思われます。私は未来のことなど人間にわかるものではないと思います。私は一昨年以来続けざまに立てては崩れ崩れしたむなしい計画のことを思うときにつくづく神の司り給う領分に人間が侵入してはならないと思うようになりました。運命は意志以上のものです。私たちは運命は受け取らねばなりません。ただ私はその運命を善なるもの、調和あるものと信ずるのが宗教だと思われます。私は任受の生活が人間に許さるる最高のものではないかと思われだしました。私は昔はツルゲーネフなどの思想を弱いもしくは回避したものとしてイプセンなどの意志の生活を強いものと思っていましたが、今は任受の生活をもっと深い、そしてけっして弱くないものと思うようになりました。私は運命を認めます。そしてそれをわれに非なるものと感ずるときはデスペレートなニヒリズムになるほかはないと思います。私のねがいはこの抵抗すべからざる力を正しきもの、われに愛なる神の摂理として感ずるようになりたいことです。これは私の根本信念です。私はいつも申しますように世界(現われたる世界のみでなく)をコスモスと信じます。そしてその実感に達するまではいかにイヴィルが重なり来たろうとも絶望する気はありません。私はオプチミストです。光の子です。今は涙に濡れていますけれどけっして呪いの息を吐かないつもりです。「おお、美しき世界よ、よきつくり主よ、私は感謝いたします」といいうるまで、あらゆる悲しみと悲しみを耐え忍ぶ気です。
 私は「毀たれざる生活」を求めます、そしてそれは任受の生活、運命とともに生死する生活のほかにはないと思われます。そのほかの生活はことごとく運命に当って崩れます。個人の意志というようなものは最も脆《もろ》いもので、それ自身では、確実に立つことはできないと思われます。私は任
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