考えとらえんとする志向と感情とを示唆《しさ》しうるであろう。
 青春においては、むしろ、その考え方、感じ方が解決よりも重要なのである。
 恋のためではなく、友情のために、私がこのように長い細々とした手紙を書く時期はもう永久にないであろう。が私がそのような手紙を宛てた久保正夫君は、京都大学を卒えて、同志社大学に君独特のスタイルでのフィヒテ哲学を講じつつあった間に、惜しくも夭折《ようせつ》してしまった。そして死を期していた私は病癒えて、塵労《じんろう》の中にたたかいつつ生きている。そしてもひとりの久保謙君は水戸高等学校の教授兼主事として、その昔ちょうど自分が抱いていたような悩みを生きている青年たちを教え導いている。
 思えば二十五年の昔である。
 私はその返らぬ日の手紙を読みつつ、その純真さに自ら打たれた。そして今の自分はあるいは堕落したのではなかろうかと省みさせられた。
 嫌悪すべき人生の中年期がそのがらくたを引っくり返して私を囲みつつあることは事実である。もし私が今日取組みつつある、社会・国家ないし共同体の現実的諸問題を捨てて、おのれ自らの求心的領域に帰りうるならば、私は確かに今よりも
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