おぶった女などが手を赤くして菜を洗っているのを見ると(これまでは少しも目につかなかったのに)限りなき同悲の情が起こります。私は社会の下層階級の人々の持つ感じ方に注意せられます。そして共に労働するものの間に生まれる愛憐と従属との感じなどを思うときに古えの聖者たちが愛と労働とを結びつけて考えたのは道理のあることと思われます。私は健康さえたしかならば労働者として暮らしたい心地さえいたします。しかし謙さん、私に不安なのは私の健康のことです。一燈園は麦飯と汁のほかは食物はありません。そして労働しなければなりませんし、睡眠もとかく乱れがちになります。私はこれまでの養生法と正反対の生活状態にはいりました。どうも他の質素な人々の目の前で私だけ豊かな暮らし方をするわけにも参りません。私は一昨日も荷車の後押しをして坂を上る時息が苦しくて後で嘔吐を催しました。また立膝をして菜などを洗うので痔のぐあいもよろしくないようです。幸いにして今のところでは無事で暮らさせてもらっています。けれどどうも不安が去りません。天香師は強い信仰から、仏によりて養われるならば粗食でも仏の加護で壮健を保たれるといわれます。また私の二
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