《めまい》を感じますので、床を離れることはまだできないでいますが、これはおいおい治ると思います。この頃になってようやく少しずつ読書ができるようになりました。「哲学研究」のあなたの論文を感心して拝見しました。りっぱな学術的論文と思います。そしてそういう論文としてのりっぱなスチィールを備えているのに感心しました。あなたがこういうものを書かれるようになったことを祝福したく思います。
かつては私が志していた知的な世界へあなたが分け入られ、そして私が思いもかけなかったドラマチストになろうとしているのも不思議な気もします。けれど私はあなたの創作のほうの仕事をあなたが棄てられることはずいぶん惜しく思います。もしできたらそのほうの仕事もされてはいかがですか。しかしあなたのまれな精力をもってしても二つの方面の仕事がそのいずれかを希薄にせずにはできないようだったら考えねばなりませんね。しかしシルレルやレッシングやまたロマン・ローランなども、両方の仕事ができたのですね。ともかくこれまで書かれた創作のほうの仕事を発表されたらいかがですか。
有島さんのところへ行っていたという小説なども、私や妹がその作のどこかに関係を持っていたにしても、私や妹に対する現実の愛と尊重とを信じている以上は狭量な、穿鑿《せんさく》だてをして気を悪くしたりしないことを誓いますから、その点は御心配なく発表されてはいかがですか。私は君の小説には知的な教養的な優れた要素が非常に多く含まれていて、そしてそれは今の日本の小説に最も欠けている点と思います。
有島さんはあなたの作を読んで何といわれましたか。「青と白」などはどうなされましたか。私も近いうちに岩波から第二の本が出ます。「俊寛」と「歌わぬ人」と「病む青年と侍する女」とを集めてあるのですが、私はもっとたくさん書いてから集めて出したかったのですが、書店のほうの都合と私の生計のほうの便宜とで、貧弱な書物になって何だか気恥ずかしく思っています。そのなかの「歌わぬ人」というのは私の初めて書いた習作で、あまりモチーフがアプジヒトリッヒなので、今の私にはかなり気になる作なのですが、自分には思い出もあるし、友だちからも勧められたので一緒に集めることにしました。(それに「俊寛」だけではあまり薄くなるので)それからあなたに一つお断わりしなくてはならないのは、その作の中にひとりの詩人がピアノをひくところがあるのですが、その頃の私は音楽についてほとんど知識を持たなかったので、君の手紙にあったブラームスについての感想をその詩人に語らせ、そしてブラームスをひかせてあることです。そしてその詩人は作者が蔑意《べつい》をもって取扱ったキャラクターなのであるいはもしあなたが読まれたら、不愉快を感じられるかもしれないと思いますがこれは私のそういう方面の知識を持たなかったためですから悪く思わないで下さい。もっとも作者が好意を持って取扱った主人公にもあなたの手紙のなかから言葉が使ってあるところもかなりあるのです。
とにかくその詩人は作者が最もきらっている文士のキャラクターを書いたのですが、その境遇もベルーフも主人公との関係もあなたとは全く異っていて、読者にあなたを連想させる心配は絶対にないと信じますから私は安心しているのですが、ただあなたが使われた言葉がその詩人に用いられている時には少し気持ちが悪いかと思いますが、前述のようなわけですからお許しを願います。
私は今しばらく仕事を休まねばなるまいと思います。今年の春は知らぬ間に過ぎ去ってしまいました。明石の海も初夏らしく爽やかになりました。早く仕事を始めたく思います。「父の心配」というのは現代物で教養的なものです。梅雨《つゆ》がはれる頃までは仕事につくことはできますまい。それから妹が「葛の葉」というドラマを書きました。彼女ももはや二十五を過ぎますからこれからは発表させるつもりです。ではいずれお眼にかかっていろいろお話いたしましょう。
それから私はまだ疲れやすいので少し話しては休み休みして幾度にも切って話をせねばなるまいと思います。これも含んでおいて下さい。有島氏も二十日に来て下さるらしいそうで喜んでいます。[#地から2字上げ](久保正夫氏宛)
「歌わぬ人」
今朝お手紙拝見しました。明日午後来て下さるそうでうれしくお待ちします。あなたが京都から四時間もかかるところへいつも心にかけて訪ねようとして下さることをいつもうれしく思っています。ただ残念なことには私の健康が疲れやすくて長く話すことができないことです。それで少しずつ話しては休み休みして散歩したり蓄音機を聞いたりして泊ってゆっくりして、そのかわり私のからだが疲れないように私が注意することを私のあなたを迎える気持ちが愛と体とにかけているためでないことを信
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