。私は絶望はしません。
庄原の姉はやはり毎日発熱して危険の状態にあります。父は私には今帰るなといってきました。艶子に炊事をしてもらっています。お絹さんは一心に姉の看護をしています。先のことはわかりません。どんな不幸が落ちてきても私は絶望だけはせぬ気ですから安心して下さい。
私もあなたもこれからですね。私たちはのんきになってはいけませんね。コケ嚇《おど》しでない、真の威力ができねばいけませんね。大切にお暮らしなさいませ。私はあなたの成長を祈っています。
[#地から2字上げ](久保謙氏宛 五月十七日。京都より)
久保正夫氏宛
私は、明日艶子を庄原に病篤き姉を見舞うために帰らせることに決心して、妹にその準備をさせているところであります。私と妹と急に一時に帰ると姉が自分の病気が死に脅《おびや》かされていることに気がつくことを恐れますから、妹だけ先に帰して、私は少し遅れて帰ろうと思っています。姉は今日や明日にどうというのではありませんけれど、医者も恢復の見込み立たず死期も近づいているように申されると父よりの便りでありました。私は今日まで父がも少し待てと申しますので帰省を見合わせていましたが、どうも気になりますから近く帰るつもりです。私は今は姉の万一にも恢復することをはかない頼みにいたしています。姉亡き後の嬰児や養子や家事の心配などは今考えることさえ不安になりますから、私は姉の息のある限りは、ただどうぞ癒《い》えてくれるようにとのみ祈りつづけてほかのことは思わないつもりです。あれでも不思議に力を持ち返してくるようなことはあるまいかと、空だのみのようなことを考えています。
私の宅の、あのあなたが二十日ほどいらした裏座敷で、姉は寝床のなかでどんなことを考えているでしょう。生まれたばかりの子は乳母《うば》もなく、老いたる母はうろうろしているでしょう。お絹さんは看護に疲れているでしょう。沈痛な、父の黄いろい面が目の前に浮かびます。――私は来たるべき不幸の前に、心をととのえて用意しなければなりません。私はどんなことにも心を乱さずにおちついて面接できるように、私のこころを鍛えねばなりません。泣いてうろたえている時は過ぎました。涙は外にながれずに内に沁みます。私は運命の前に知恵をもって立ちます。黙ってすべきことをして行きます。あなたはあなたの魂の法則で生きて下さい。私は私ので生きます。私はあなたのこの前のお手紙を対抗的には感じませんでした。私はあなたの歩みを承認し、愛の眼で見守りましょう。私たちは遠慮なくおのおのの歩みに忠実であって、姑息な礼譲から、したいこともせずに置くようなことは必ずやめましょう。私たちには性格の強さが必要です。時として私は自分を偽っているように感じて、窮屈な気のすることもあります。私はこれからは、ことに秋から東京で日夕往来するようになれば、今よりもっと自由にふるまわせていただく気でいます。refuse したいことを refuse できないような友情はいやですからね。
私はこの頃生活が晦渋《かいじゅう》してはかどりかねているかたちです、どうも私の起こす感情には affection が多くて確かでない。もっとたしかに、甘えずに――と、こう考えています。カソリックの坊主になりたい、出家したい、乞食《こじき》になりたいというようなことを心に描いては、すぐにそれがなかなかできないことを悟ります。それくらいなことは初めからわかりそうなものだに、私にはわからないのです。自分の発心がどこまで確かであるか、自分の魂の力はどれくらいなものか、私の器量、素質の勢力をはからずに、ねがいばかりが先に行きます。いや、それは本当はねがいではなくて、そのねがいの持つたのしき感動だけです。かくかく願うというときには私はほんとうは願っていないのでした。私はほんとに願を起こしたい。「この本願かなわずは正覚を取らじ」という願を起こしたい。もし起こらぬならば、それを起こっていると自ら欺くまいと思います。真実な人がそばにいると、その自欺と自媚《じび》とははっきりあらわれます。せめて私はうそだけいわぬようにしたい、――天香さんの前で私はこうしばしば思います。
インノセンスの自由は私からたえて久しい幸福であります。私はどうしてヴァニチーがこんなにとれないのでしょう。犠牲と、Verzichtung とは、ヴァニチーの混じた感情では実行できません。アン・ジヒ・ゼルプストな目的、実行的意志でなくては、私はこの頃私の感情が不信用になって、感動というものをあまり重んじなくなりました。ある実行の動機となるためには、その感動は常に持続しなくてはなりません。
しかるに私たちの感動は衝動的なもので持続しはしないから、私たちは実行を決定する時には他の利害の観念のごときものを
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