ら著しいことだけ書き送ります。実は私は明日、お絹さんと家持ちを初めます。父母の許可も得ました。この二十日ばかりお絹さんは私の下宿に来て毎日看護してくれております。私は一生|娶《めと》らず、お絹さんをそばに置いて、結婚でなく共棲を続ける気です。お互いの自由を縛らないで、隣人として相哀れみ、平和な、睦《むつま》じい暮らし方をする気です。私はこの病弱なからだを優しいお絹さんの看護の手に委ねます。そして私は思想上の師として彼女を導き、キリストとマルタのごとくあるいはむしろ乳母と病みやすき若者とのごとくに慈愛と憐憫《れんびん》とで包むように愛し合いましょう。私はお絹さんの腕に抱かれて死ぬ気です。
お絹さんは年二十六、人生の悲哀をかみしめています。もはや色香もあせています。私への愛もどこかに母らしい気持ちも伴ないます。私は今の若さでもっと若い、美しい女との華やかな結婚を思わぬではありませんけれど、もはや恋のできる心ではなし、お絹さんがあわれであわれで振り捨てる気にはなれず、何もかも運命の催すところとあきらめて、一生涯の共棲と心を決めました。とはいえ淋しい心地がして、スイートな感じなどちっとも起こりません。お絹さんも私の心を察して淋しい思いに沈みます。そして「あなたは私と共同生活をしても気に入った人ができればいつでも結婚なさい」と申します。私はお絹さんの心をあわれみます。そして、もうどんな美しい女があっても娶りません。そして淋しく睦じく、二人で暮らします。四月初旬には妹も帰り、三人で京都で暮らします。そして機を見て上京いたします。あなたはこの春休みに私の新しい家にいらっしゃいませんか。春の京都を見物かたがたいかがですか。
私はどうしてこのように病弱なのでしょう。つくづく病むものの悲哀を感じます。
まだお寒うございますからお大切になさいませ。[#地から2字上げ](久保謙氏宛 三月二十四日。京都より)
妹来たる
お手紙いつもやさしく慰め励まして下さってありがとうございます。あなたは近頃|風邪《かぜ》の加減でこの前植物園で妹がお目にかかった時にもお顔の色も勝《すぐ》れなかったようにお見受けしたということですが、昨今はいかがでございますか、ほんとに大切になさいませ。私は一時は少なからず心配しましたが、お絹さんの親切な看護のおかげか、今では熱も去り、食事も進み、ほとんど常態に恢復いたしましたから悦んで下さい。
昨日は、また、久しぶりに、めでたく卒業した、愛する妹が帰って来まして、七条駅まで迎えに行き、昨秋以来の、なつかしい逢瀬《おうせ》の、互いに労《ねぎら》う挨拶を交わす時にも、兄妹ともしあわせな心地につつまれました。
私の新しい家に着くと、お絹さん――これは別府の時から、妹を渇仰してるのです――が、かいがいしく、いろいろと世話をして、荷物の世話などしてやりました。天香さんにも通知をして悦んでもらいました。これからしばらく、京都で三人暮らすことになります。私の住所は、東山の麓《ふもと》に近い、田圃《たんぼ》のなかの淋しいところにあります。父からもらう少しのお金で、三人貧しく、睦じく暮らすつもりです。お父上がお国から見えになるそうですね。その後で私のとこへもいらしていただけるかもしれない由、もし、そうできたなら、私はどれほど悦ぶか知れません。正夫さんとは昨夏をああして二十日も一緒に暮らせましたけれど、あなたとは三年夏のなかばの日に、カフェで別れたきり、お目にかからないのですものね。まことにずっと昔の、昔のことのような気がいたします。
四月は京都のもっともたのしい季節で、祇園《ぎおん》の桜も咲き、都踊りも始まります。あなたも一度は京にお越しなされませ。天香さんにもお絹さんにもお引きあわせ申します。お絹さんを、私はあわれに、いとしくおもい、仏の眼のうるおいと赦《ゆる》しとをもって、優しく、慈《いつく》しむ気でいます。お絹さんは私を玉のように大切に、守るように世話をしてくれ、いつもよく働きます。そしてその容色や才能が私を満足させてはいないことを熟知して、心の底でいつも遠慮していることを私は知っていますから、私はお絹さんを淋しがらせぬように努めています。私の、若い、おとこ心は、時としては、若い、美しい娘さんなどを見る時、お絹さんと一生共棲することを大きな寂寞《せきばく》と感じさせることもありますけれど、そのような時には私はいつも考え直します。
病院時代の物語りや、別府の船の別れや、福山警察署の別れや、一燈園での再会や、さまざまのことを思い出す時に、私はお絹さんをあわれにあわれに、思います。そしてできるだけ愛そうと思います。
一緒に暮らして感ずる淋しさは、このまま振り捨てた後で私の心を責められる気がかりより、いくらましかもしれません。
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