いだ私の宅にとどまるのが私の道であろうと思います。それで私は今は東京で姉と家持ちをすることを考えています。艶子と三人で、郊外に一軒借りて、女中をひとり置いて暮らしたら、かえって経済的にもなって好都合であるまいかと思われます。その事について私はこの四、五日のうちに相談して決める気でいます。でおハガキの家はしばらく取り決めずにおいて下さいませ。このような内輪のことまであなたに話さなくてもいいのですけれどつい話してしまいました。みんな私の上京するのを悦び待っていて下さるのですから私はなるべく上京したいのです。どうもさまざまな障りができて私はつくづく先のことは決められないと思います。私は今は少ししょげています。けれど失望はいたしません。何もかも耐え忍びます。もう四、五日の間お待ち下さいませ。
「よくなろうとする祈り」は少しずつ筆をすすめています。「母たちと子たち」は妹の次ぎに私が読ませてもらいましょう。
 あなたは幸多き日々を送って下さいませ。私はどうも何もかも私のくわだてることは成就しないような気がしてなりません。けれど私の希みはますますはるかにそしてたしかになって行くばかりですから心配して下さいますな。
 謙さんにもこの手紙の旨を伝えて下さい。私はやさしい謙さんが私のために失望してくれはしまいかと気の毒です。どうぞどうぞしあわせに暮らして下さい。
[#地から2字上げ](久保正夫氏宛 九月二十八日。庄原より)

   親子の愛と知性の愛の矛盾

 私はまたしばらく御無沙汰いたしました。あなたは仕事に充ちた、そして文化の吸収に余念のない生活をしていらっしゃいますことと存じます。からだを損わないようにして下さい。しかし風雪に鍛えたあなたの健康はなかなかたしかなもののようですね。妹をコンサートに連れて行ってやって下さった由ありがとうございます。あの子は美しい女性の生長に大切な宗教と音楽との教養が足りないと私は思います。私から彼女に影響するところは主として強い淋しい徳の感化で、豊醇な乙女心をなくさせるような気がして私はうれしくないのです。私としては仕方がありません。私は妹は、傷つけられない、ゆたかな生活がさせたいのです。私はすでに傷ついたところの不幸な魂に深い慰安を与えるような有徳の君子になりたいのですけれど。
 私の姉は一昨日養生に出発しました。どうか少しは快くなって帰ってくれればいいがと思っています。私はあれからまた悲しい思いにばかり訪れられましてね。私はこの頃はどうも私の両親の家にいるのが uneasy で仕方がないのです。両親を親しくそばに見ていると胸が圧しつけられるようです。私はあなた――母親思いのやさしい人に申すのは少し恥ずかしいけれど、どうも親を愛することができません。そしてまた母の本能的愛で、偏愛的に濃く愛されるのが不安になっておちつかれません。それでおもしろい顔を親に見せることはできず、そのために両親の心の傷つくのを見るのがまたつらいのです。私はわがままな子なのですよ、私の妹に家庭における私の様子を聞いてみて下さい。私はただ朝から晩まで苦しい苦しいで暮らしています。いっそのこと親が他人ならば私は苦しくても笑顔を向けて愛そうとするのに、親にはそれができないので悪い顔ばかり見せます。私はこの頃つくづく出家の要求を感じます。私は一度隣人の関係に立たなくては親を愛することができないように思います。昔から聖者たちに出家する者の多かったのは、家族というものと隣人の愛というものとの間にある障害があるためと思われます。私はあれからたびたび家を出ようと思いました。そして本田さんには長門の秋吉村の本間氏の大理石切場に行くように、また文之助君には京都在の西田天香という僧のところに行くように手紙にも書きましたほどです。しかしやはり私は躊躇《ちゅうちょ》しています。私の十字架は家に止まるほうにあるのではないかと考えます。私は私の家にいて、しかも私があなたや謙さんにするように私の両親を愛すべきでしょうか。けれどそれがなかなか困難なのです。私は依然として孝行ができません。家を出ればかえって孝行になれるのですけれど、私は家庭というもののなかには、とても安住できない人間のように思われます。私の両親ほど子に甘い親はありません。しかし私は親に対する不満と悲哀とをますます深くいたします。私はやはり出家の心、すべてのものを隣人として神の愛で愛したいねがいが強いのです。おそらくは将来はそのようになるようになるでしょう。そして親にもやさしい子になりたいと思います。
 私は今でも私にパンの保証さえあればそのようになりたいのです。パンだけは親に頼り、親のトイルの上に立って隣人となることはできないことです。といって私は病弱無能でとてもパンを得るかいしょがありません。正夫さん
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