ましたね。あなたはあの学校に毎日寒さを冒して通学してるのですね。ソフトをかぶってマントを着て街《まち》を歩いていたあなたを思い出します。純な清らかなやさしき心を持ちたいというあなたのねがいはまた私のこの頃の最もせつなるねがいです。私はあなたのそのねがいをば正しき美しきものと信じます。そして私とゼーレの交通をなすにお互いにその境地に深く届き進むことができるようにはげましたいではありませんか。私はあなたの思って下さるほどけっして純ではありません。なにとぞ人間としての弱さ醜さ愚かさはだれにもあるものと知り、そしてそれを許して、励まして下さい。私の心にはどうしてこのように卑しい醜いものが住んでいるのだろう? 私はそれを怖ろしきことと思い、神様に祈っています。私は今朝もこう思いました、「私の心に訪るるものの中にありては祈祷の感情が一番深くなつかしいスイートなものである、よし、私は一日じゅう祈りの心持ちより遠い言行はいっさいすまい」と。そして神様に私を助けてしかせしめ給わんことを祈りました。私は神のエキジステンスなどを議論する気がないのです。私は私の祈りの心持ちの実験にたよります。そしてそのなかで神にあいます。いまや祈祷は私の最もたのしき大切なるものになりました。私は私の心の奥に聖地を築きたい。そしてそこに最後の魂の憩《いこい》場所を見いだしたいと存じます。詩篇のなかに「みよ、神の道をたのしむものの足はいかに美しきかな」という言葉がありましたが、私はその足の美しい、聖地を蹈むに堪うる人となりたい。この間もお絹さんと静かに信仰のことなど語ってる時に私はかの聖フランシスと聖クララとの聖き交際を思い出さずにはいられませんでした。そして天の甘美とたのしき団欒《だんらん》とを想望いたしました。
 私には他人が私の生活内容のおもなるものとなりつつあることがたのもしく感ぜられます。私はトマスのような生活はできません、他人と交渉し他人の運命に影響しなくては生きるよすががありません。他人のなかに自己を見いだすのではなく、自己のなかに他人を生かしたい。私はあなたのこの頃のお心持ちにたいへん同感できるので嬉しくてなりません。私は深き深き意味にてソシアリチーということを重んじ出しました。なぜ世の人はかくまでにかたくなにて怨みを結びまた争うのでしょう。私は新聞を読むのが苦痛でなりません。読まねば社会に冷
前へ 次へ
全131ページ中12ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
倉田 百三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング