父親のごとき境遇にあって、愛児の苦痛を目睹《もくと》しつつ、いかにして人生を感謝することができましょうか。しかも人生は美であり、調和であり、感謝であると信ずることのできる宗教的境地――それを私は憧《あこが》れ求めます。死力を尽くして生き切る時に、運命を呼びさまして、真の神のヘルプを受けることができるのでしょう。私はまだまだ絶望してはなりません。
 今日は手術のことが心配で、気をおちつけて手紙を書くことができません。不安と恐怖とたたかわねばなりません。手術後はまた動かれなくなり、当分しみじみと手紙もかかれますまい、またしんぼうせねばなりません。ああいつまでもいつまでも人生を愛して倦《う》みますまい!
 私の妹があなたを訪問するかもしれません。その時はなにとぞ私のことを思い出して話して下さい。今日はこれにて筆をおきます。[#地から2字上げ](久保謙氏宛 一月十六日。広島病院より)

   ドストエフスキーの感化の中にあって、祈りと人間同志の従属感にぬれていたころ

 私は今朝《けさ》最近に私の周囲に起こった事件のために悲しく、淋しくされた心で寝台に仰臥しておぼつかない、カーテンを洩るる光のなかに病むものの悲哀にうちしおれていました。硝酸銀でやかれたので傷が痛みます。耐え忍ぶことの尊さを知った私は、それでも眼を閉じて祈りの心持ちのなかに没しようとつとめました。出来事というのは次のようなことなのでした。私の知合いのフランシスという牧師が、私の見舞いにひとりの看護婦を送ってくれました。その女はクリスチャンで愛らしい単純な信心な女です。私はもはや百日も病院にいますのに、少しも私となつかしき話のできるような看護婦はできませんでした。みな役人らしき冷淡なあつかいをするのです。ひとりとして私に触れ、私の魂のなかの宝石を発見し、私のなかのよき部分に触れてくれる者はありませんでした。ひとりの私にすがってくれる友は肺重くして私の部屋まで来ることはできず、私は少しも歩行できないのです。久保さん、私はだれでも愛し、求めるものには惜しまず与えんと、心のなかに常に和解と愛とを用意しているのになぜ、人は私に温かい交渉をしてくれないのでしょう。私はキリストが昔「われ衢《ちまた》に立ちて笛ふけども人躍らず、歌えども和せず」となげかれた、かなしき心持ちをしのびました。そしてどんなに私に求めに、愛されに、す
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