で生きます。私はあなたのこの前のお手紙を対抗的には感じませんでした。私はあなたの歩みを承認し、愛の眼で見守りましょう。私たちは遠慮なくおのおのの歩みに忠実であって、姑息な礼譲から、したいこともせずに置くようなことは必ずやめましょう。私たちには性格の強さが必要です。時として私は自分を偽っているように感じて、窮屈な気のすることもあります。私はこれからは、ことに秋から東京で日夕往来するようになれば、今よりもっと自由にふるまわせていただく気でいます。refuse したいことを refuse できないような友情はいやですからね。
私はこの頃生活が晦渋《かいじゅう》してはかどりかねているかたちです、どうも私の起こす感情には affection が多くて確かでない。もっとたしかに、甘えずに――と、こう考えています。カソリックの坊主になりたい、出家したい、乞食《こじき》になりたいというようなことを心に描いては、すぐにそれがなかなかできないことを悟ります。それくらいなことは初めからわかりそうなものだに、私にはわからないのです。自分の発心がどこまで確かであるか、自分の魂の力はどれくらいなものか、私の器量、素質の勢力をはからずに、ねがいばかりが先に行きます。いや、それは本当はねがいではなくて、そのねがいの持つたのしき感動だけです。かくかく願うというときには私はほんとうは願っていないのでした。私はほんとに願を起こしたい。「この本願かなわずは正覚を取らじ」という願を起こしたい。もし起こらぬならば、それを起こっていると自ら欺くまいと思います。真実な人がそばにいると、その自欺と自媚《じび》とははっきりあらわれます。せめて私はうそだけいわぬようにしたい、――天香さんの前で私はこうしばしば思います。
インノセンスの自由は私からたえて久しい幸福であります。私はどうしてヴァニチーがこんなにとれないのでしょう。犠牲と、Verzichtung とは、ヴァニチーの混じた感情では実行できません。アン・ジヒ・ゼルプストな目的、実行的意志でなくては、私はこの頃私の感情が不信用になって、感動というものをあまり重んじなくなりました。ある実行の動機となるためには、その感動は常に持続しなくてはなりません。
しかるに私たちの感動は衝動的なもので持続しはしないから、私たちは実行を決定する時には他の利害の観念のごときものを
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