きません。手術後で今日は五十日目なのに、まだなかなか癒えそうにありません。毎日痛い目を忍んで生きています。歩行すると出血するので散歩もできません。
 しかし謙さん、私はこのような生活をしていますけれど人生を呪う気にはどだいなれません。それに反して人生がある全一な、積極的な幸福なものでなければならないとの根本信念が私の心の底に日に日に育ってゆくのです。私は信心深くなります。私はこのような病身なのですから、一生涯《いっしょうがい》ほとんど病院暮らしをせねばならぬかもしれません。また私の生涯は長いものではありますまい。それにしても私は私にゆるされた生をたのしんで感謝して暮らしたいと思います。私は病院のなかでもできるような、不幸な人々のためになるような、仕事を発見したいと念じております。私はこの数年、霊の上に、肉の上に、さまざまな苦痛を受けました。そして、真に他人を愛することを知りました。異常な忍耐力と隣人の愛とが私の心に植えられた。これ私の限りなき感謝です。謙さん、どうぞいつまでも私を愛して下さい。私のことを思い出して下さい。私はただひとりはなれて、私の生活を宝石のごとく育て、かつ祈り、かつ考えて生きております。神もし、私に何らかの使命を与え給うならば、私も立って君らとともにはたらく時もありましょう。どうぞ待って下さい。なにとぞ幸福に暮らして下さい。
[#地から2字上げ](久保謙氏宛 十二月二十二日。広島病院より)
[#改ページ]

 大正四年(一九一五)


   生を呪わぬ心

 あなたへお手紙をあげようと毎日思って、まだ得書かないうちに私はまた不幸に訪れられました。私は明後日また第三度目の手術を受けなければならないことになりました。肉体的苦痛に対する不安と恐怖との人並以上に強い私は、今それに抵抗するために、精神を緊張させねばなりません。なにとぞこの手紙の、あなたの心にみつるほどに、長くこまやかでないのをゆるして下さい。この前の手術後、七十二日間日々耐え忍んだ苦痛はまたむなしくなりました。私はまた新しき忍耐を要求せられました。私の苦痛は私がしのび受けることによって、完結するとしても、私の父母に与えるなげきをいかがしましょう。私は実に両親の不断のトラブルです。ああ私は夜暗い、冷たい教会の板の間に伏してどんなに両親のために祈ったでしょう。
 謙さん、あなたの先日のお手紙は
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