りませ。ここに魚と荒布とがございます。
俊寛 わしはもはや飲食はたったのだ。わしははやく死にたい。
有王 なぜそのようなことをおっしゃいますか、私が生きている限りはたとえご不自由とは申せ、海山をあさってもあなたを飢《う》えさせはいたしませぬ。
俊寛 あゝわしは生きていてどうするのだ。わしの手足にまだ力が残っていた間は、いかにもして一度|都《みやこ》に帰って敵《かたき》に一太刀《ひとたち》報《むく》いる望みがあった。お前からあの恐ろしい凶報《きょうほう》を聞いた時、わしがすぐに死ななかったのはただその希望のためのみであった。があまりに激しい悲しみはわしを打った。衰《おとろ》えきったわしの体を病気がむしばんだ。わしはもはやふたたび都の土を踏《ふ》む望みはない。一指《いっし》を加えることができないで敵とともに一つの天をいただくことは限りない苦しみだ。
有王 病気はなおすことができるではありませんか。命さえあればふたたび都に帰れないとは限りません。
俊寛 (苦しそうに)有王。この期《ご》に臨《のぞ》んでもはやまやかしごとを言ってくれな。
有王 でも寿命《じゅみょう》のある限りは。
俊寛 (さえぎる)わしはもはや再び立つことはできない。
有王 どうしてそのようなことがありましょう。なにとぞ飲食《おんじき》をおとりください。私が苦心してあり求めてきたのでございますから。
俊寛 わしは干死《ひじ》にするのだ。わしの呪《のろ》いが悪魔の心にかなうために。わしの肉体の力はつきた。わしに残っているのはただ魂魄《こんぱく》の力だ。わしのこの力で復讐《ふくしゅう》して見せる。清盛《きよもり》はわしからすべての力を奪《うば》った。しかしこの力を奪うことはできないのだ。人間の魂魄の力がどれだけ強いか。わしはそれを知らせてやる。清盛を呪うてやる。ともに魔道に伴《ともの》うてゆくぞ!
有王 あゝ恐ろしい。ご主人様、あなたは静かにこの世を終わってください。私は争いに飽《あ》きました。あゝこの年月私の見てきたことはあまりに恐ろしいことばかりでありました。思えば思うほどあさましい。私はこの恐ろしい世を惜《お》しいとは思いませぬ。その渦《うず》の中からのがれたい。たとえこの荒れた島はいかにさびしくとも、ここで静かに余生《よせい》を送りましょう。私が朝夕心をつくしてご奉公申し上げますから。つくづくあなたのご生涯《しょうがい》を思えばただごとではない気がいたします。目に見えぬ悪業《あくごう》があなたの氏《うじ》につきまとっている気がいたします。静かに業《ごう》のつきるのを待ち平和な来世《らいせ》をお迎え遊ばすよう、私はひたすら祈ります。今あなたの心に起こっていることは世にも恐ろしいことでございます。あなたの来世を魔道に落とさぬよう。
俊寛 わしのこの、この骨髄《こつずい》に徹《てっ》する恨《うら》みをどうするのだ。あゝわしの受けた苛責《かしゃく》がどれほどのものだったか! わしはよい人間ではないかもしれない、だが、かほどの苛責がわしに相当しているだろうか。少なくともわしは清盛《きよもり》ほど悪虐《あくぎゃく》ではないつもりだ、彼ほど人を傷つけてはいないつもりだ。天はその清盛をどのように遇しているか!
有王 あゝ私もそれはわかりませぬ、が、清盛の積んだ悪業はきっと罰《ばち》を受ける時が来ると思います。
俊寛 あゝわしはその罰を呼び起こすのだ。その罰を七倍にしてやるのだ。彼を地獄《じごく》に引きずり落としてやるのだ。
有王 ご主人様、なにとぞお心を静めてください。清盛の懲罰《ちょうばつ》は魔王《まおう》に任《まか》せてください。この世では記録にないほどの恐ろしい苛責《かしゃく》を受け、死後もまた地獄《じごく》におちて永劫《えいごう》につきない火に焼かれなくてはならなかったら!
俊寛 たとえ地獄の火に焼かるるとも清盛《きよもり》を呪《のろ》い殺さずにはおかないぞ。彼を火の中に呪い落として永劫に責《せ》めさいなまずにはおかないぞ。
有王 (耳をおおう)あゝ恐ろしい。仏様が主人の心をお静めくださるよう!
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから5字下げ]
沈黙。あらしの音が過ぎる。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
俊寛 有王よ。お前は都《みやこ》へ帰ってくれ。
有王 (驚く)ご主人様。何をおっしゃいます。
俊寛 お前はまだ若い。わしとともにこの島で朽《く》ち果てさすに忍《しの》びない。都へ帰ってよき主に仕え、世に出る道を計《はか》ってくれ。
有王 私は世をいといます。この島で一生あなたに仕えるほか何の望みも持ちません。
俊寛 都へ帰れ。都へ帰れ。
有王 私は死ぬまであなたを養い守ります。
俊寛 わしはお前にとっていい主人ではなかった。お前にな
前へ
次へ
全27ページ中25ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
倉田 百三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング