人だ。八幡《はちまん》のたたりを恐れられい。わしはいうがわれわれがこんなみじめな境遇に落ちたのも、もとはあなたの父上のためだ。
成経 (顔をおおう)
俊寛 あなたの父を鼠《ねずみ》のごとく殺した清盛《きよもり》のところへ、あわれみを乞《こ》うて帰る気か。
成経 (あたりをはばかりつつ)わしは復讐《ふくしゅう》することができる。都《みやこ》へ帰れば機会をうかがうことができる。
俊寛 (不安に堪《た》えざるごとく、康頼に)康頼殿、今はわしの頼みはあなた一人となりました。わしはあなたの愛と誠実とに依頼する。あなたはながい間どんなにわしを愛してくださったろう。あなただけはわしを見捨ててくださらぬだろう。
康頼 私はあなたの運命を思えばたまらない気がする。あなたはじつに苦しかろう。
俊寛 わしは恐ろしい。わしのそばにいつまでも離れずにいてください。
康頼 わしはあなたをあわれむ心でいっぱいだ。あなたの今の地位の恐ろしさは言い表わす言葉もないほどだ。
俊寛 (哀願《あいがん》に満ちたる調子にて)あなたはわしを見捨ててはくださらぬだろう。
康頼 わしはあなたを見捨てて去るには忍《しの》びない。
俊寛 ではわしとともにこの島に残ってくださるのですね。
康頼 (力なく)わしはそうしたい。そうしなければならぬと思う。けれども――
俊寛 (不安の極度に達す)わしはあなたの信心に依頼する。
康頼 迎えの船の来たのは熊野権現《くまのごんげん》の霊験《れいげん》と思われる。
俊寛 あなたは神々にたてた誓《ちか》いを忘れはすまい。あれほど信心深いあなたが、天地の神々の名によってたてた誓いを破ろうとは信じられない。
康頼 (沈黙)
俊寛 (あわれみを乞《こ》うごとく)康頼殿、あなただけはわしを見捨ててくださるな。あなたは成経殿の例にならってくださるな。この長い困苦の年月あなたがわしのためにどんなに忠実な友であったか、わしは感謝の心でいっぱいだ。今一人の友が無慈悲《むじひ》にわしを捨てて去ろうとする時、あなただけはわしを助けてください。わしはあなたに救《すく》いを求める。
康頼 (沈黙)
俊寛 (康頼の袖《そで》を握《にぎ》り地にひざまずく)あわれな友の最後の願いをしりぞけてくださるな。
康頼 わしはあなたを見るに忍《しの》びない。わしの心はちぎれるようだ。
俊寛 わしを地獄《じごく》から救ってくれ。(地に伏して慟哭《どうこく》す)
康頼 (苦しげに)わしはあなたのそばにいたい。あなたを見捨てる気にはなれない。
俊寛 わしはあなたを最後の頼みといたしますぞ。
基康 (家来をしたがえて登場)もはや時は来た。決心を承《うけたまわ》ろう。(家来に)出発の用意をしろ。
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家来数名船のほうにゆく。三人沈黙。
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基康 (成経に)あなたの決心は?
成経 わしは迎えをお受けする。
基康 (うなずく。康頼に)あなたは?
康頼 (力なく)わしは友を見捨てるに忍《しの》びません。
基康 よろしい。ではあなたはこの島に残るがよかろう。成経殿だけ伴《ともな》って帰ろう。成経殿、出発の用意をなされい。
成経 (康頼に)わしは苦しい立場ではあるが思いきって一足《ひとあし》先に都《みやこ》へ帰ります。あなたはとどまって俊寛殿を慰《なぐさ》めて時機を待ってください。わしは都へたち帰ったらきっと再び迎えの使いを送ります。(俊寛に)あなたはわしが憎《にく》かろう。だがわしの立場を思ってゆるしてください。わしが都へ帰ったらきっと清盛《きよもり》殿にとりなして、あなたも帰洛《きらく》のかなうよう取りはからいます。それを頼みに苦しみに堪《た》えて待っていてください。
俊寛 (答えず)
成経 何か形見《かたみ》に残したいがわしに何もあろうはずがない。この衾《ふすま》をあなたにのこします。わしはこれで雨露《あめつゆ》をしのぎました。
俊寛 (衾《ふすま》を地になげうつ)わしはあなたを友とは思わぬ。早く都《みやこ》に帰るがいい。そして自分の敵に追従《ついしょう》するがいい。
家来 船の用意はできました。
基康 ではお別れする。(船に乗る。成経つづく)
成経 (船の上より康頼に)おことづてはありませぬか。
康頼 (何か言いかけて感動のあまりやめる)
基康 すぐに出発しろ。
家来 (ともづなを解《と》く)
俊寛 (顔をそむける)
成経 (康頼に)ではお別れいたしまする。
康頼 (堪《た》えかねたるごとくに)基康殿、お待ちください。
基康 何かごようか。
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船少し動く。
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康頼 待っ
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