われを忘れたるごとく)わしへの手紙は? 故郷の便りは?
基康 わしのことづかったのはこれだけだ。(俊寛、顔をおおう。家来に)出発の用意をしろ。
成経 (あわてる)待ってくれ。わしがもっとよく考えるために。
康頼 今しばらくの猶予《ゆうよ》が願いたい。
基康 あなたがたの意志はもはや確かに承《うけたまわ》ったはずだが。
成経 いや、わしはもっとよく考えて見なければならない。あなたに聞きたいこともある。
康頼 われわれがもっとよく考えて決心するために、今しばらく待っていただきたい。あなたはあまりにあわただしい。
俊寛 (不安に堪《た》えざるごとく。成経に)成経殿、わしはあなたを信じている。あなたが誓《ちか》いを守ってくださることを。
成経 (俊寛にむけてではなく)わしは考えねばならない。考えねばならない。
俊寛 康頼殿、わしはあなたの誓いを最後の頼みとしていますぞ。
康頼 わしたちはよく考えて見ましょう。今はあまりに大事な時だ。
俊寛 (天に向かって両手をのばす)神々よ、汝の名によってたてられた誓いは守られねばならぬ!
基康 わしの前で内輪《うちわ》の争いは、見るに堪《た》えぬわい。申《さる》の刻《こく》までに考えを決められい。猶予《ゆうよ》はなりませぬぞ。(退場。家来つづく)
成経 (基康の去るやいなや、飢《う》えたるもののごとく手紙の封を切りて読み入る)
康頼 (手紙を読みかけて、俊寛を見てやめる)
成経 (かたわらに人なきがごとく)なつかしい母上よ、あなたの恩愛《おんない》が身にしみまする。(今ひとつの手紙を読む)妻よ、お前の苦しみは察するにあまりある。どんなに会いたかったろう。(他の手紙を見る)乳母《うば》の六条の手紙に添《そ》えて、わしの小さな娘の手紙も入れてある。何という可憐《かれん》な筆つきだろう。六条よ、あゝおまえの忠義は倍にして報《むく》いられますぞ。(手紙を読みつづける)
俊寛 (堪《た》えかねたるごとく)わしの前でその手紙を読むのはよしてください。わしは不安で不安でたまらない。成経殿、あなたは考えを変えてはなりませぬぞ。きょうあなたが弓矢にかけてたてた誓《ちか》いを忘れてくださるな。
成経 (われに帰りたるごとく)わしはあまりに苦しい、今はわしの一生の運命の定《き》まる時だ。わしに考えさせてください。
俊寛 あなたは名誉ある武士のすえだ。あなたはいつもそれを誇《ほこ》っていられた。わしはあなたの誇りに望みをかける。
成経 故郷《こきょう》の便りはわしの臓《ぞう》をかきむしるような気がする。不幸なわしの家族はどんなにわしを待っているだろう。彼らに一度会う日の夢は、わしのこの荒いみじめな生活のただ一つの命であった。今や時が来た。そしてわしは帰ってはならぬのであろうか。
俊寛 あなたの心持ちはもっともだ。だがわしのことを考えてください。あなたがたがそばにいて不幸を分けてくださったればこそ、この言いようのない苦しみにも堪《た》えることができたのだ。が、もしわし一人この島に残らねばならなかったら、わしはどうしてこの先を暮らしてゆくことができよう。それはあまりに堪えがたい。考えただけでも恐ろしい。
成経 わしはあなたのことを思わないのでは決してない。だがわしとして、わしの境遇になって、はたして故郷への迎えの船をむなしく帰すことができるだろうか。
俊寛 わしはこういう時の来ることを予感したのだ。それを思えばこそけさあれほどあなたに念を押したのだ。そしてあなたのあの心強い誓言《せいごん》を得たのだ。あなたはそれを忘れはなさるまい。
成経 (心の内に戦いながら)時機は二度と来ぬのだから。
俊寛 わしはあなたに要求する気はない。ただあなたの友情にすがって折り入って頼む。なにとぞわし一人をこの島に残さないでください。
成経 わしは一度だけ母に会いたい。妻に会ってその苦しみをねぎろうてやりたい。一生に、も一度だけわしの子供が抱《だ》きたい。
俊寛 それはみなわしの願うところだ。わしの朝夕の夢だ。今その夢を実《まこと》にすることのできるあなたの幸福と、この荒れた島にただ一人残る自分の運命とを較べるのは堪《た》えがたい。わしの恐ろしい運命を考えてください。
成経 わしはただ一度だけ故郷《こきょう》の土が踏《ふ》みたい。ただ一度だけ家族と会えばまたこの島に帰ってもよい。だがただ一度だけは。
俊寛 わしを助けてくれ。
成経 わしは苦しい。何も考えられない。わしの心は顛倒《てんとう》するようだ。
俊寛 あなたはどうしても帰る気か、誓《ちか》いを破り、わしを捨てて。
成経 (苦しそうに沈黙す)
俊寛 きょうからわしはあなたを名誉ある武士とは思いませぬぞ。困苦をともにした友に危難の迫《せま》った場合、無慈悲《むじひ》に見捨て去るとは、実に見下げた
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