れわれは皆あなたにいちばん信頼していた。
康頼 われわれの意気はすでに平氏をものんでいた。われわれは恐ろしい陰謀《いんぼう》をたくらみながらも、軽い諧謔《かいぎゃく》をたのしみ得《う》るほどに余裕があった。わしは忘れることができない。あの法皇《ほうおう》をひそかに山荘に迎えた夜、清盛《きよもり》をたおす細密《さいみつ》な計略《けいりゃく》を定めたあとで、さながらわれわれの勝利の前祝いのように、期せずして生じたあの諧謔を!
成経 あの機知にみちた、天来《てんらい》の猿楽《さるがく》を!
康頼 成経殿がふと狩衣《かりぎぬ》の袖《そで》に引っかけて、法皇の前にあった瓶子《へいし》を倒したのが初めだった。
成経 平氏が倒れた! とあなたが叫んだ時には、私《わし》はその思いつきに笑わずにはいられなかった。
康頼 西光殿《さいこうどの》が横合いから口を入れて言った。あまりに瓶子《へいし》(平氏)が多いので酔《よ》ってしまった。この目ざわりな瓶子(平氏)をどうしたものだろう、と。
俊寛 (黙然《もくねん》として目を閉じている)
成経 俊寛殿。あなたは覚《おぼ》えているでしょう。その時あなたがひじょうに機知のある、不思議なほどに甘いつづめ[#「つづめ」に傍点]をつけたのが、この一場の猿楽《さるがく》に驚くほどいきいきした効果を与えたのを。(俊寛苦しそうに首をたれる)あなたは瓶子の首を取って立ちあがりざま、心地《ここち》よげに一座を見回して叫びましたね。平氏の首を取るがいいと。
俊寛 (顔をおおう)わしは恥じる。わしは失敗者だ。すべて愚《おろ》かな愚かなことだった。あなたがたは今いちばん悪いことを思いだしてくれた。わしはこうして立っていられないほど恥ずかしい。あなたがたはわしをこの思い出で元気づけようとしたのか。この皮肉な思い出で……あゝ呪《のろ》われたるわしよ。(痙攣《けいれん》する両手で頭をかかえて砂上《さじょう》に伏す)
康頼 (気の毒に堪《た》えざるごとく)わしが愚かなことをしたのならわしは悔いる。許してください。わしは今あなたを慰《なぐさ》めることならどんなことでもしたい。俊寛殿、今、われわれの時が来つつあるのだ。この幸福の予感の中《うち》にあって、わしが少し軽い心になっても許してください。わしは足が地につかないような気さえしている。あなたといえば、どうしてこんなに不幸そのもののような顔をなさるのだろう。あなたの内に不幸を吐《は》き出す魔でもすんでいるのか。あなたはわしとともによろこんでくださるはずだ。われわれが長い長い間待った日が来かけているのではないか。あなたはその日をあれほど待っていられたではないか。
成経 (沖《おき》を見る)あの船はいよいよこの島に来るらしいぞ。
俊寛 (苦しそうに)なぜこんなさびしい考えがわしにだけ起こるのだ。去ってくれ。去ってくれ。(船を見る。身ぶるいする)だめだ。わしは凶兆《きょうちょう》を感じる。わしの運命は、わしの星は凶だ。(地に倒れる)
康頼 俊寛殿。気が狂ったか!
成経 何かついたのか! (刀を抜く)外道《げどう》よ、去れ!
俊寛 (起き上がる)わしに必要だ。一つのことがわしに保証されねばならない。わしを見捨てて帰らぬということが!
成経 安心なさい。俊寛殿。わしはあなたに何のわだかまりも持ってはいない。持っていたものは皆消えた。わしはあなたを慰《なぐさ》めたい心で一ぱいになっている。鬼神《きじん》も今のあなたの姿《すがた》を見てはあわれみを起こすだろう。
康頼 あなたはあり得ぬことを想像してひとりで苦しんでいられる。二人だけ都《みやこ》へかえして、あなただけをこの島に残すというはずがないではないか。わしらは同じ罪に座して配流《はいる》されたのだから。
俊寛 もしあったとしたら。
成経 わしはも一度くり返してあえて言おう。あなたを一人見捨てて都へ帰るほどなら、わしはこの島で餓死《がし》することを選ぶ。
康頼 生きるも死ぬるも三人いっしょだ。
俊寛 それを誓《ちか》ってくれ。誓ってくれ。
成経 (弓を天にささげる)わしは名誉ある武士のすえだ。わしは弓矢にかけて誓う。あなたと生死をともにすることを!
康頼 わしは神々の名によって誓う。天神《てんじん》よ。(天に息を吹く)地祇《ちぎ》よ。(地に息を吹く)わしは永久に友を見捨てませぬ。
俊寛 (静かに泣く)
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長き沈黙。
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成経 (突然|沖《おき》を見て叫ぶ)いよいよきまった。あの船はもうこの島に必ず来る。あすこまで来たからにはもうだいじょうぶだ。いつも方角《ほうがく》をかえるのはもっとずっと遠くの沖《おき》だから。わしの考えでは、あの船
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