てください。わしはさびしくてたまらない。さびしいさびしい考えがさっきからわしの心に起こってきた。
康頼 あなたはどうしたのです。あなたの顔の色は! この希望に痙攣《けいれん》するような瞬間に、あなたはなぜそのようなさびしい顔をしているのです。
成経 (傍白)まるで喪《も》のような顔つきをしている。
俊寛 わしを捨ててくれな。きらってくれな。
康頼 あなたは何を言うのです。今、幸福が、信じられないほどな幸福がわたしたちに向かって近づきつつある。見なさい。あの穏《おだ》やかな[#「穏《おだ》やかな」は底本では「隠《おだ》やかな」]春の海を、いっぱい日光を浴びて、金色《こんじき》に輝いて帆走《ほばし》って来る船を! あの姿《すがた》があなたをおどりあがらせないのは不思議というほかはない。
俊寛 わしは不安で不安でたまらない。
康頼 大きな幸福が来る時には、そしてその幸福がまだ確定しない時には人間は不安を感ずるものだ。その不安ならわしも同じことだ。あまり幸福が大きいから。わしといっしょに行きましょう。いっしょに祈りましょう。
俊寛 (哀願《あいがん》にみちたる調子にて)誓《ちか》ってくれ。愛を誓ってくれ。
成経 (和睦《わぼく》と愛憐《あいれん》の表情をもって)あゝ、あなたはそれを気にしているのか。人間は幸福が来る時には人とやわらぎたくなるものだ。俊寛殿。安心なされ。さっきのことなら、わしはすっかり忘れている。わしに来かかっている幸福はわしのすべての憎悪《ぞうお》をもみ消してしまった。わしは心からあなたに和睦の手を差しのべよう。
俊寛 わしはまだまださびしいことが考えられる。あなたがたがわしを捨ててしまいはせぬかというような気がしてならない。わしを振り捨てて、二人だけ都《みやこ》へ帰ってしまいはしまいかというような気がしきりにする。
康頼 あなたはどうしたのです。あなたは凶事《きょうじ》を自分で描《えが》いてはまねき寄せようとするように見える。凶事についてのあなたの異常な想像力にわしはまったく驚いてしまう。それがあなたの不幸の原因だ。わしが一度でもあなたを捨てると言いましたか。
成経 わしはあなたを一人この島に捨てて帰るほどなら、むしろ三人でこの島で餓死《がし》するほうがいい。
俊寛 (涙ぐむ)あなたはほんとうにそう思ってくれますか。
成経 何しにうそを言いましょう。われわれは同じ日にこの孤島《ことう》に流された。同じ船で。それゆえに同じ日に、同じ船でこの島を去らねばならない。われわれはいかほどの困苦《こんく》をともにしてきたことか。われわれの間に不和が生じたとすれば、それは、われわれの受けている運命の苛責《かしゃく》があまりに厳《きび》しかったからだ。
俊寛 (成経を抱《だ》く)わしはあなたのひろい心がありがたい。わしはあなたにとって確かに平和な、親切な友ではなかった。わしの気質は荒くて、ゆがんでいるから。もっとも平和な時でさえも、わしはあまり陰気だったから。あなたがたには、長い歳月《としつき》の間さぞわしが堪《た》え難《がた》い重荷《おもに》だったろう。でもわしをきらってくださるな。わしはあまりにさびしい。(沖《おき》を見る)あゝ、あの船を見るとわしは変にさびしくなる。初めてあの帆影《ほかげ》を見た時暗い陰《かげ》がわしの心をおおうてきた。あの船には何かわしを不幸にするものが乗っているような気がする。「死」が乗っているような気さえする。わしは今|本能的《ほんのうてき》に助け手を求める。忠実な友がそばにいてくれることが、今のわしには絶対的に必要だ。
康頼 わしはあなたの最後までの助け手だ。死に到るまでかわらぬ忠実なる友だ。
俊寛 あゝ、あなたは心強いことを言ってくださる。(康頼の顔を見る)どうしてあなたがたのかほどの強い励《はげ》ましが、わしの不安を払いのけてくれぬのだろう。
康頼 わしはあなたをあわれむ。あなたはきょうはどうかしていられる。あまり異常な幸福が近づいたために、心がその喜びをにないきれなくなって、平衡《へいこう》を失ってしまったのではないか。
俊寛 ほんとうに、ほんとうにわしを見捨てませんか。
康頼 わしの目をごらんなさい。あゝ、あなたは泣いていますね。どうしたと言うのだろう。
俊寛 (康頼の足もとに崩《くず》れて泣く)
成経 あなたはあまりに衰《おとろ》えました。風雨が樹木《じゅもく》を打つように、長い間の不幸があなたを打ったのだ。あなたはあわれな老人のごとく、幸福なときにも泣くことしかできないのだ。あなたの姿《すがた》はあまりにも痛ましい。わしは思いださずにはいられない。われわれが昔あの鹿《しし》が谷のあなたの山荘に密会したころのことを。あのころのあなたのあの鉄のような意志と、鷲《わし》のような覇気《はき》とを。わ
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