許さるるよう祈ったほうがいいと思うようになりました。
成経 けれど考えてごらんなさい。その小さな卒都婆《そとば》が何百里という遠い海を漂《ただよ》うて都のほうの海べに着くということがありましょうか。
康頼 でも千本のうち一本くらいは。
成経 とても九州までも行きはしますまい。潮風《しおかぜ》に吹き流されて。この島の磯《いそ》にでも打ちあげれば、蜑《あま》の子が拾うて薪《たきぎ》にでもしてしまうだろう。
康頼 しかしあれには二首の歌が彫《ほ》りつけてあります。故郷《こきょう》をしたう歌が。心あるものはまさか焚《た》いてしまいはしますまい。
成経 文字《もんじ》など読めるような人がこの島にいるものですか。言葉でもろくに通じないくらいだのに、男は烏帽子《えぼし》もかぶらず女は髪《かみ》もさげず、はだしで山川を歩くさまはまるで獣《けもの》のようではありませんか。
康頼 あゝ。わしはあの優雅《ゆうが》な都《みやこ》の言葉がも一度聞きたい。あの殿上人《てんじょうびと》の礼容《れいよう》ただしい衣冠《いかん》と、そして美しい上※[#「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1−91−26]《じょうろう》の品《ひん》のよい装《よそお》いがも一度見たい。
成経 この島の女は猿《さる》のように醜《みにく》い。
康頼 わしはけさ卒都婆《そとば》を流しにいって、岸辺《きしべ》に立ってさびしいことを考えました。わしはわし自身が丹精《たんせい》してほりつけた歌を今さらのように読み返しました。何たるさびしい歌だろう。卒都婆は波にもまれて芦《あし》のしげみにかくれてしまいました。わしはそれをじっと見送っていたら涙《なみだ》がこぼれた。しかし神様には何でもできないことはないはずだ。千本の内一本でも中国あたりの浜にでも着いて心ある人に拾われたら、きっと清盛《きよもり》の所へ送ってくれるだろう。清盛だって鬼神《きじん》でもあるまい。あのさびしい歌を読んで心をうごかさぬことはあるまい。あゝ。われわれがこの孤島《ことう》でどんな暮らし方をしているかを知ったら。どんなにふるさとをしとうているかを知ったら。むかえの使いを送ってくれまいものでもない。
成経 しかしそれはあまりにおぼつかない希望だ。
康頼 神を疑《うたが》ってはいけません。熊野権現《くまのごんげん》は霊験《れいげん》あらたかな神でございます。これまでかけた願《がん》の一つとして成就《じょうじゅ》しなかったのはありません。
成経 しかしここは紀州ではなし、那智《なち》の滝もないではありませんか。
康頼 神はどこにでもいられます。わしがあの奥深い森を選んだのは、あたりの様子がどことなしに那智《なち》の御山《みやま》に似ているからです。あれは本宮《ほんぐう》、これは新宮《しんぐう》、一の童子《どうじ》、二の童子とかりに所を定《き》め、谷川の流れを那智の滝と思い、そこに飛滝権現《ひりゅうごんげん》を形ばかりにまつりたてまつったのでございます。どんなにさびしい孤島《ことう》に流されても、拝する神のないのは堪《た》えられません。あの鬼《おに》のような清盛だって厳島明神《いつくしまみょうじん》に帰依《きえ》しているではありませんか。
成経 (あざけるように)ではわしは天魔《てんま》でもまつりましょうよ。そしてあの清盛を呪《のろ》ってやりましょう。
康頼 わしはこの間も権現様に通夜《つや》をして祈りました。そして祈り疲《つか》れてうとうとしました。するとわしは不思議な夢を見たのです。沖《おき》のほうから潮風《しおかぜ》に吹かれて木の葉が二枚ひらひらと飛んできて、わしの袖《そで》にかかりました。それを手に取ってみると御熊野《みくまの》の山にたくさんある栴《なぎ》の葉なのです。よく見るとその葉に歌が一首書いてあるのです。「ちはやふる神に祈りのしげければ、などかみやこへかえらざるべき」とありあり読みました。あゝありがたいと思ってその栴《なぎ》の葉をいただいて目がさめたのです。
成経 それはあなたがいつも都へ帰りたい帰りたいと思っているから、そんな夢を見たのでしょう。
康頼 しかしありありと歌まで覚《おぼ》えているのです。霊夢《れいむ》に相違《そうい》ありません。たとえそうでなくっても、わしはそうと信じたいのです。
成経 それであの卒都婆《そとば》流しを思いついたのですね。
康頼 (さびしそうに)はい。
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間。
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成経 俊寛殿はどこへ行きましたか。
康頼 きょうも熊野権現《くまのごんげん》にお参りなされました。
成経 あの人は神など拝むような人ではなかったが。
康頼 人間は苦しい目にあうと神を拝むようになるものですよ。今でも時々こんなことをしたって何になるなど
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