色が悪くなる)どうしたのだ。あの白帆を見ると寒い影がサッとわしの心にさしてくるのは!
成経 幸福の船よ! いやいや。わが心よ、軽はずみにおどるな。あとであまりにさびしいから。わしは幾百度《いくひゃくたび》裏切られたろう。しかも今度は、今度はと思って希望をかけないではいられない。きょうもまた無慈悲《むじひ》に方角《ほうがく》を変えてしまうのかもしれない。そして結果は船の姿を見なかった前よりも、悪くなるのかもしれない。あの気ぬけのした、いまいましい、なぶられたような、不幸な心に!
康頼 (船より目を放たず)わしの愚《おろ》かな妄想《もうそう》だろうか。いや、どうもいつもとは違うようだ。わしに与える気もちがちがっている。いつもは気まぐれな鴎《かもめ》のどちらに飛ぶか見当のつかないような、あてにならない気がするのに、きょうは信ずべきものの渡来を待つような気がする。あの船は決心したようにまっすぐにこの島に向かって来るように見える。
成経 わしもどうもそんな気がする。初めてあの船の姿を見た時から、待っていたものが、ついに来たような気がしてならない。
康頼 わしはまだ童子であったとき、兄の花嫁《はなよめ》の輿《こし》を迎えに行ったことがあった。国境《くにざかい》でわしたちは長く待った。輿は数百の燈火《ともしび》に守られて列をつくってやって来た。あれでもない、これでもない。けれどほんとうに花嫁の輿が来たときに、わしらは皆申し合わせたようにそれを直覚した。わしの今の心持ちはそれに似ている。
俊寛 (傍白)ほんとうにわしはどうしたのだ。棺《ひつぎ》を迎えるような気がするのは!
成経 もう半時《はんとき》すればはっきり見込みがつく。この島にまっすぐに来るとしても、到着するまでには二、三時はかかるだろうけれど。
康頼 恐ろしい半時だ。わしはじっとして船を見ているのに堪《た》えられない。わしは熊野権現《くまのごんげん》の前にひざまずいて一心不乱に祈ろう。祈りの力で船をこの島に引き寄せよう。神々よ。あの船をこの島に送りたまえ。神風《かみかぜ》を起こしてあの帆《ほ》をふくらせ、水夫《かこ》の腕《うで》の力を二倍にし、鳥のごとくにすみやかにこの岸に着かしめたまえ。(鳥居《とりい》のほうに走り出そうとする)
俊寛 (康頼の袖《そで》を握《にぎ》る)待ってください。ごしょうだからわしのそばを離れずにい
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