も呪《のろ》いを解かずに巡礼していらしたなら、私のつくった悪はいつまでも消えずにおごそかに残るにちがいないという気がしました。また私は生きた鶏をつぶす時にいつも感じます。このようなことが報いなくて済むものかと。私はあなたを打ったことを思うと、どうぞ私を打ってくださいといいたい気がします。
親鸞 私は地獄がなければならぬと思います。その時に、同時に必ずその地獄から免れる道が無くてはならぬと思うのです。それでなくてはこの世界がうそだという気がするのです。この存在が成り立たないという気がするのです。私たちは生まれている。そしてこの世界は存在している。それならその世界は調和したものでなくてはならない。どこかで救われているものでなくてはならない。という気がするのです。私たちが自分は悪かったと悔いている時の心持ちの中にはどこかに地獄ならぬ感じが含まれていないでしょうか。こうしてこんな炉を囲んでしみじみと話している。前には争うたものも今は互いに許し合っている。なんだか涙ぐまれるようなここちがする。どこかに極楽が無ければならぬような気がするではありませんか。
左衛門 私もそのような気もするのです。けれ
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