うと言ってやったのよ。そしておかあ[#「かあ」に傍点]さんのおこっている事や、勤めをだいじにせねばならない事を言ってきかせてやったのよ。そしたら、あの子の口上が憎らしいではありませんか。私は悪い事をしているのではありません。ねえさんなどとは考えが少し違うのだから、いいから、ほっといてください、とこうなのでしょう。
浅香 そんな事を言いましたかえ。帰ったら私がよく言い聞かせてやりますから、どうぞ気を悪くなさらないで、堪忍《かんにん》してやってくださいね。元来はおとなしい性質なのですからね。
村萩 あんまり私たちを軽く見ていますからね。
浅香 あの子もこのごろは思い詰めて、気が立っているのです。あのように言ったのもよくよく思い余ったのでしょうから。
村萩 あなたはかえでさんに甘すぎますよ。おかあ[#「かあ」に傍点]さんもこのあいだ言っていました。かえでの気の高いのは、浅香の仕込みだって。
浅香 そんな事はありませんわ。
村萩 なにしろ少しあなたから気をつけたほうがよくてよ。皆そう言っているのですからね。優しくするとつけあがりますからね。
浅香 気をつけましょう。堪忍してやってください。(涙ぐむ)
村萩 何も堪忍するの、しないのっていう段ではないのですけれどね。話のついでに言ったまでの事ですよ。あれではかえでさんのためにもならないと思って。
浅香 ありがとうございます。(くちびるをかむ)
村萩 そんなに気に留めなくてもいいことよ。ではまた寄せてもらいます。(立ち上がる)
浅香 まあ、いいではありませんか。
村萩 いずれまた。花合わせにのぼせてまだ夕方の身じまい[#「身じまい」に傍点]もしていませんから。
浅香 そう。ではまたいらしてください。
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村萩退場。浅香、ちょっとぼんやりする。それから花合わせを箱に入れる。それからまた考え込む。やがて気を替えたように立ちあがり、鏡台の前に行きてすわる。
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浅香 (鏡を見つつ)ほんとに少しやせたようだ。(頬《ほお》に手を当てる)やせもするだろうよ。(鏡台の引き出しから櫛《くし》を出して、髪をなでつける)このようにしてなんのために身じまいをするのだろう。自分をもてあそびに来るいやな男――自分の敵《かたき》に媚《こ》びるために自分の顔形を飾らなくてはならないとは! いや、今ではもうそのような事を考えなくって、ただ習慣《しきたり》で、夕方ごとに鏡に向くのだ。それも自分の色香に自信があった間はまだよかったのだけれど。(間)髪の毛の抜けること。(櫛から髪の毛を除く)弱いからだを資本《もとで》にして、無理なからだの使い方をして働けるだけ働き抜いて、そして働けなくなったら――(身ぶるいする)えゝ、考えまい。考えまい。
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ほかの座敷から鼓の音がきこえて来る。かえで登場。浅香を見ると声をあげて泣く。
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浅香 (かえでのそばに寄り、のぞき込む)かえでさん。どうしたの。かえでさん。
かえで あんまりです。あんまりです。(身をふるわす。簪《かんざし》が脱けて落ちる)
浅香 どうしたのだえ。だしぬけに。(簪をさしてやる)まあおすわり。(かえでを火鉢《ひばち》のそばにすわらせる。自分もそのそばにすわる)
かえで (泣きやむ)おかあ[#「かあ」に傍点]さんにひどくしかられたのよ。帰ると呼びつけられて。私が悪いのよ。おそくなったのだもの。でも帰られなかったのよ。けれどあんまりな事をおっしゃるのだもの。
浅香 私もそうだろうと思いました。
かえで つかみかかるようにして、頭からどなりつけられたわ。できるだけひどい言葉を使って。私はかまわないのよ。どうせ私はおかあ[#「かあ」に傍点]さんにかけたら虫けらのようなものですもの。なんと言ったとてしかたはないのだし、もうしかられつけていますからね。けれどおかあ[#「かあ」に傍点]さんはあのかたの事を悪く悪くはたで聞いていられないような事をいうのですもの。
浅香 唯円様の事もかえ。
かえで お銭《あし》を持たずに遊ぶ者は盗人も同じ事だって。あのかたの事を台所でおさかな[#「さかな」に傍点]をくわえて逃げる泥棒猫《どろぼうねこ》にたとえました。
浅香 まあひどいことを。
かえで 私はあまり腹が立ちましたから、いいえ、あのかたは鳩《はと》のように純潔な優しいかたですと言ったのよ。すると口ごたえをするといって煙管《きせる》でぶつのですよ。
浅香 ぶったの。
かえで えゝ。ここのところを力いっぱい。(ひざをさする)そしてもういっさい外出はさせないと言いました。
浅香 ひどいことをするものだね。あの人の荒いのはいつもの
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