書くことが下手《へた》ですもの。
唯円 いろは[#「いろは」に傍点]でたくさんです。また心に思うことを飾らずにすらすら[#「すらすら」に傍点]書けば、ひとりでにいい手紙になるのです。お腹にまごころさえあれば。
かえで まごころでならだれにもまけなくてよ。私今度から手紙をあげますわ。(ちょっと考える)だめよ。どうしてあなたに渡すの。
唯円 そうですね。あなたは出られないし。使いがお寺へ来ると変だし。
かえで 何かいい分別は無くって。
唯円 (考える)私が取りに行きます。
かえで そんな事ができるの。
唯円 あなたは手紙を書いて持っていてください。私があの松《まつ》の家《や》のかけだし[#「かけだし」に傍点]の下の石段のところに行って、口笛を吹きます。あなたはあの河原へおりる裏口のところから出て私に手紙を渡してください。
かえで そしたらちょっとでもお顔を見る事もできるわね。けれど見つけられるとたいへんよ。(声を低くする)家《うち》のおかあ[#「かあ」に傍点]さんは私とあなたと仲よくするのをたいへん悪く思ってるのよ。遊ぶならお銭《あし》を持って来て遊ぶがいいと言っておこるのよ。
唯円 (拳《こぶし》を握る)私にお銭があったらなあ。
かえで いいのよ。私はあなただけはお客としてつきあってるのではないのですもの。いくらできたって、あなたにお銭で買われるのは死んでもいやですわ。(涙ぐむ)
唯円 あなたは私ゆえにつらいでしょうねえ。
かえで 私はかまいませんわ。それよりあなたお寺のほうの首尾が悪くはなくて。
唯円 (暗い顔をする)少しはお弟子《でし》たちには怪しく思っているものもあるようです。
かえで お師匠様には知れはしなくて。
唯円 えゝ。(不安そうな顔をする)
かえで きょうはなんと言って出ていらしたの。
唯円 黒谷《くろだに》様にお参りして来ると言ったのです。
かえで お師匠様はなんとおっしゃいました。
唯円 ついでに真如堂《しんにょどう》に回って、ゆっくりして帰るがいいとおっしゃいました。
かえで そうですか。(考える)
唯円 私はお師匠様にうそをつくのが苦しくていけません。けさも黒谷にお参りして、法然《ほうねん》様のお墓の前にひざまずいて、私は心からおわびを申しました。
かえで (急に沈んだ表情になる)清いあなたにうそを言わせるのも皆私のせいです。
唯円 いいえ。そうではありません。
かえで 堪忍《かんにん》してください。(手を合わす)
唯円 私が悪いのです。(手を解かせる。そのままじっとかえでの手を握っている)無理にうそを言わなくても、ありのままをお師匠様に打ち明ければいいのです。私が勇気が無いのがいけないのです。
かえで だってそんな事を打ち明けたらしかられはしなくって。
唯円 私たちは悪い事をしているのではありません。私たちはその自信を何よりも先に持たねばなりません。かえでさん。いいですか。卑屈な心を起こしてはいけませんよ。
かえで だってあなたは坊様でしょう。そして私はあれ[#「あれ」に傍点]でしょう。女のなかでも人様に卑しまれる遊女でしょう。
唯円 僧は恋をしてはいけないというのは真宗の信心ではありません。また遊女だからとて軽蔑《けいべつ》するのはお師匠様の教えではありません。たとえ遊女でも純粋な恋をすれば、その恋は無垢《むく》な清いものです。世の中には卑しい、汚れた恋をするお嬢さんがいくらあるか知れません。私はあなたを遊女としてつきあってはいません。あなたも私を客としてつきあってはいないとさっき言いましたね。私はあれはありがたい気がしました。実際あなたは純潔な心を持っているのだもの。私はあなたを愛します。(手を強く握り締める)
かえで でも私は、私は……(涙をこぼす)私のからだは汚れています。(袖《そで》で顔をおおうて泣く)
唯円 (かえでを抱く)かえでさん。かえでさん。
かえで 私を捨ててください。私はあなたに愛される価値《ねうち》がありません。私は汚れています。あなたは清い清い玉のようなおからだです。私はすみません。私は泣いて耐え忍びます。これまで何もかもこらえて来たのですもの。私は一生男のなぐさみもので終わるものと覚悟していました。その侮辱さえも私の運命としてあきらめる気でした。あきらめないと言ったとてしかたはないのですもの。私に力が無いのですもの。また皆が私にそうあきらめさせるように仕向けるのですもの。どのお客も、どのお客も皆私をなぐさみものとして取り扱いました。そして私に自分をそう思えよと強《し》いました。私はそれにならされました。自分はなぐさまれる犠牲《いけにえ》、お客は呵責《かしゃく》する鬼ときめました。あなたは私を娘として取り扱ってくださった最初のかたでした。私でも人間であることを教えてくださった最
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