すか。
親鸞 七十五になります。
同行二 さっきちょっと承りましたら、あなたは御病気でいらっしゃいますそうで。
親鸞 はい少し風をひきましてな。もうほとんどよいのです。
同行二 どうぞお大切になされてくださいませ。
同行三 皆の者がいかほどおたより申しているか知れないのですから。
親鸞 はいようおっしゃってくださいます。(間。唯円をさし)この人は常陸《ひたち》から来ているのです。
唯円 私は常陸の大門村在《だいもんむらざい》の生まれでございます。
同行一 同じお国と聞けばなつかしゅうございます。もう長らく京にいられるのでございますか。
唯円 国を出てから十年になります。国には父が残っていますので恋しゅうございます。
親鸞 十五年前に私が常陸の国を行脚《あんぎゃ》したおりに、雪に降りこめられてこの人の家に一夜の宿をお世話になったのです。それが縁となって、今ではこうして朝夕いっしょに暮らすようになりました。
同行二 因縁《いんねん》と申すものは不思議なものでございますな。
僧一 袖《そで》の振り合いも他生《たしょう》の縁とか申します。
僧二 こうして皆様と半日をいっしょに温《あたた》かく話すのでも、縁なくば許される事ではありませんね。
僧三 一つの逢瀬《おうせ》でも、一つの別れでもなかなかつくろうとしてつくれるものではありませんね。人の世のかなしさ、うれしさは深い宿世《すくせ》の約束事でございます。
唯円 私は縁という事を考えると涙ぐまれるここちがします。この世で敵《かたき》どうしに生まれて傷つけ合っているものでも、縁という事に気がつけば互いに許す気になるだろうと思います。「ああ私たちはなんという悪縁なのでしょう」こう言って涙をこぼして二人は手を握る事はできないものでしょうか。
親鸞 互いに気に入らぬ夫婦でも縁あらば一生別れる事はできないのだ。墓場にはいった時は何もかもわかるだろう。そして別れずに一生添い遂げた事を互いに喜ぶだろう。
唯円 愛してよかった。許してよかった。あの時に呪《のろ》わないでしあわせだった、と思うでしょうよね。
僧三 人は皆仲よく暮らすことですね。
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一同しんみり沈黙。
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同行一 (ひざをすすめる)実は私たちが十余か国の境を越えてはるばる京へ参りましたのは往
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