う。皆許されねばならないような気がした。世の相《すがた》をあるがままに保っておくほうがよいという気がした。「このままで、このままで」と私は心の中に叫んだ。「みんな助かっているのでは無かろうか」と。山へ帰っても、もはや、そこは私の住み家ではない気がした。
唯円 その時|法然聖人《ほうねんしょうにん》にお会いなされたのですね。
親鸞 まったく観音様のおひきあわせだよ。私は法然様の前で泣けて泣けてしかたがなかったよ。
唯円 (涙ぐむ)あなたのお心は私にもよくわかります。
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両人しばらく沈黙。僧一、僧三登場。
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僧一 お師匠様はここにいられましたか。
親鸞 唯円と日向《ひなた》で話していました。
僧三 御気分はいかがでございますか。
親鸞 もうほとんどよいのだよ。ありがとう。
僧一 それはうれしゅうございます。大切にあそばしてください。
親鸞 お前たちもここでお話しなさい。本堂のほうはどうだった。
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唯円、座ぶとんを持ちきたり、両人にすすめ、茶をつぐ。
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僧三 いっぱいの参詣人でございます。お勤めが済みまして、今は知応《ちおう》殿の説教最中でございます。
僧一 知応《ちおう》殿の熱心な説教には皆感動したようでございました。
僧三 権威のある、強い説教でした。皆かしこまって聴聞《ちょうもん》いたしていました。
僧一 きょうの説教はことに上できでございました。
親鸞 やはり法悦《ほうえつ》という題でしたのだな。
僧三 御存じでいらっしゃいますか。
親鸞 知応が私に話した事もあるし、さっき唯円からちょっと聞いた。
僧一 宗教的歓喜というものがいかに富や名誉など、地上の楽よりもすぐれて尊いかを高潮してお話しなされました。
僧三 恋よりも楽しいとさえおっしゃいました。
唯円 死の恐怖もなく孤独のさびしさもなく、浮き世への誘惑も無いとおっしゃいました。
僧一 法悦は救いの証拠であると言われました。
僧三 私たち出家しているものの、特別に恵まれた境遇である事を、あの説教を聞いて私は今さらのごとくに感じました。
唯円 私はあれを聞いて不安な気がいたします。私はこのごろはさびしい気がいつもいたします。ぼんやりし
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