はよく知っているのだがな。浅ましいことじゃ。わしは一生の間|煩悩《ぼんのう》の林に迷惑し、愛欲の海に浮沈しながらきょうまで来た。絶えず仏様の御名を呼びながら、業《ごう》の催しと戦って来た。そして墓場にゆくまでそのたたかいをつづけねばならないのだ。唯円、この大切な時に私のために祈ってくれ。わしはそれを必要とする。わしは心をたしかに保たなくてはならない。一生に一度の一大事をできるだけ、恥を少なくして過ごすためにな。わしはそのために祈っている。空澄み渡る月のように清らかな心で死にたい。
唯円 仏様にお任せあそばしませ。私はあなたのために心をこめて祈っています。(力を入れて)めでたく往生《おうじょう》の本懐をお遂げあそばすよう。
親鸞 死はわしの長い間のねがいだったのだ。ただ一つの希望だったのだ。墓場の向こうに私を待つ祝福をわしはどんなに夢みたことだろう。いまその夢が実となるべき時が来た。めでたい時が。(間)昨夜、私は祈りながら眠りに落ちた。眠りはひとつのありがたい夢で祝された。この世ならぬ、荘厳《しょうごん》と美とに輝く浄土のおもかげがわしの前にひらかれた。わしの魂は不思議な幸福で満たされた。地上の限りを越えたその幸福をわしはなんと言って表わしていいかわからない。あの阿弥陀経《あみだきょう》のなかに「諸上善人倶会一処《しょじょうぜんにんくえいっしょ》」というところがあるね。わしは多くの聖衆《しょうじゅ》の群れにかこまれた。みな美しい冠をかぶっていらしたよ。わしはもったいなくて頭が下がった。わしもきょうからその列の中に加えられるのだと聞いたとき、わしはうれしさに涙がこぼれた。と見るとわしの頭にも同じような美しい冠が載せてあるのだ。その時|虚空《こくう》はるかに微妙《みみょう》なる音楽がきこえ始めた。聖衆の群れはそれに合わせて仏様を讃《ほ》める歌をうたわれた。すると天から花が降って来て、あたりは浄《きよ》い香《かお》りに満ちた。わしは金砂をまいた地の上に散りしく花を見入りつつこれこそあの「曼陀羅華《まんだらげ》」というのであろうと思った。その時私は目がさめたのだ。
唯円 なんという尊い夢でございましょう。
勝信 美しく輝く冠ほど聖人《しょうにん》様にふさわしいものはございますまい。
親鸞 さめてから後も私の心はその幸福のなごりでおどっていた。けれどそのときからわしに一つの兆《
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