らわれる。それにふらふらと身を任せたのだ。一度身を任せればもう行くところまで行かねば止まれるものではない。「一すじにやれ」私の言葉を思い出したにちがいない。おゝ、私はおだてたようなものだ。それに(苦しそうに)善鸞の稚《おさ》ないものの運命をおそれない軽率な招き、私はよそ事には思われない。私はどうしても唯円の罪を分け負わなくてはならない。その私がどうして裁くことができよう。
僧一 ごもっとものようではありますが、あなたはあまり神経質にお考えあそばします。あなたは恋をすなと禁じられなかったまでのことです。恋をせよ。ことに遊女と隠れ遊びをせよとすすめられたのではありません。唯円殿が自分の都合のいいように勝手に解釈したのです。善鸞様の事について私は何も申し上げることはありません。あなたの関係あそばしたことではなし。唯円殿があなたに内緒で行ったのですもの。
親鸞 そうばかりも考えられなくてな。
僧二 あなたのようにおっしゃれば何もかも皆自分の責めになってしまいます。
親鸞 たいていのことは、よくしらべてみると自分に責めのあるものだよ。「三界に一人の罪人でもあればことごとく自分の責めである」とおっしゃった聖者もある。聖者とは罪の感じの人並みすぐれて深い人のことを言うのだよ。(間)私が悪い、善鸞はことによくない。ほんとに人を傷つけるようにできているふしあわせな生まれつきだ。
僧三 では唯円殿には罪がないように聞こえます。
親鸞 唯円も悪いのだよ。悪いという側から言えば皆わるいのだよ。無理はないという側から言えばだれも無理はないのだよ。みな悪魔のしわざだよ。どのような罪にでも言い分けはあるものだ。どのような罪も皆|業《ごう》といふ悪魔がさせるのだからな。そちらから言えば私たちの責任では無いのだ。けれど言い分けをしてはいけない。自分と他人とをなやますのは皆悪いことだ。唯円もたしかに悪い。周囲の平和を乱している。自分の魂の安息をこわしている。
僧一 それはたしかに悪うございますとも。あれほど恩遇を受けているお師匠様のお心を傷《いた》めまつることだけでも容易ならぬ事である。私たちの心配、若い弟子衆《でししゅう》の激昂《げっこう》、お寺の平和と威厳をそこのうています。私の考えでは事は唯円殿の一身から生じていると思います。従って唯円殿の心がけ一つでお寺の平和と秩序とは回復できる。またあの人は
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