折り返して1字下げ]
かえで 善鸞様からおたよりがありますの。
浅香 えゝ、おりおり。
かえで お国ではどうして暮らしていらっしゃるの。
浅香 やはりお寺にすわっていらっしゃるのよ。しきたり[#「しきたり」に傍点]で仏様は拝むけれど、ほんとうは何も信じられないで、心はだんだんさびれて行くばかりだとお手紙に書いてありました。
かえで あのようなさびしいかたはありませんね。つきあえば、つきあうだけ、どんなに心の奥に、不幸を持っていらっしゃるかが思われるような気がしました。
浅香 善鸞様はほんとうはおとう様に会いたくて京にいらっしゃったのよ。けれどおとう様のお身のためや、お弟子衆《でししゅう》や、親戚《しんせき》のかたの心持ちや、いろいろな事を考えて、とうとう会わない事に決心なすったのよ。
かえで ではさびしいお心で御帰国なすったでしょうねえ。
浅香 おいとしいと言うよりも、あわれなと言うくらいでしたよ。(間)けれど唯円様のおかげでおとう様のお心持ちがよくわかったので、たいへん安心なさいました。別れていて互いの幸福を祈る――すべての人間は隣人としてそうするのが普通のさだめ[#「さだめ」に傍点]なのだ。人間はどのように愛し合っていても、いつもいっしょにいられるものではない。別れていて祈りを通わすほかは無い。お前とおれでもそのとおりだ、もうじきお別れしなくてはならない。今度はいつ会えるかわからない。別れてもおれのために祈ってくれ。おれもお前のしあわせを祈るからとおっしゃいました。
かえで 善鸞様は唯円様をたいへんお好きなさいましたね。
浅香 あんな温《あたた》かい、純潔な人は無いと言って、いつもほめていらっしゃいました。
かえで 唯円様も、善鸞様を皆が悪く言うのはわけがわからないと言っていらっしゃいました。
浅香 あのかたは善《よ》い心が傷つけられたために、調子が狂って来たのです。いったん心の調子が狂うと、なかなか元には返りませんからね。それには始終そのすさんだ心を温《あたた》め潤す愛がはたになければなりません。それだのにあのかたの周囲には、その愛が欠けている代わりに、呪《のろ》いとさげすみとが満ちているのですもの。
かえで あのかたはまたその他人の非難を気にかけずにいられるような人ではありませんでしたからね。自分では強そうな事を言っていらっしゃるくせに。いつかも私にお前はお
前へ 次へ
全138ページ中96ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
倉田 百三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング