はならないとは! いや、今ではもうそのような事を考えなくって、ただ習慣《しきたり》で、夕方ごとに鏡に向くのだ。それも自分の色香に自信があった間はまだよかったのだけれど。(間)髪の毛の抜けること。(櫛から髪の毛を除く)弱いからだを資本《もとで》にして、無理なからだの使い方をして働けるだけ働き抜いて、そして働けなくなったら――(身ぶるいする)えゝ、考えまい。考えまい。
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ほかの座敷から鼓の音がきこえて来る。かえで登場。浅香を見ると声をあげて泣く。
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浅香 (かえでのそばに寄り、のぞき込む)かえでさん。どうしたの。かえでさん。
かえで あんまりです。あんまりです。(身をふるわす。簪《かんざし》が脱けて落ちる)
浅香 どうしたのだえ。だしぬけに。(簪をさしてやる)まあおすわり。(かえでを火鉢《ひばち》のそばにすわらせる。自分もそのそばにすわる)
かえで (泣きやむ)おかあ[#「かあ」に傍点]さんにひどくしかられたのよ。帰ると呼びつけられて。私が悪いのよ。おそくなったのだもの。でも帰られなかったのよ。けれどあんまりな事をおっしゃるのだもの。
浅香 私もそうだろうと思いました。
かえで つかみかかるようにして、頭からどなりつけられたわ。できるだけひどい言葉を使って。私はかまわないのよ。どうせ私はおかあ[#「かあ」に傍点]さんにかけたら虫けらのようなものですもの。なんと言ったとてしかたはないのだし、もうしかられつけていますからね。けれどおかあ[#「かあ」に傍点]さんはあのかたの事を悪く悪くはたで聞いていられないような事をいうのですもの。
浅香 唯円様の事もかえ。
かえで お銭《あし》を持たずに遊ぶ者は盗人も同じ事だって。あのかたの事を台所でおさかな[#「さかな」に傍点]をくわえて逃げる泥棒猫《どろぼうねこ》にたとえました。
浅香 まあひどいことを。
かえで 私はあまり腹が立ちましたから、いいえ、あのかたは鳩《はと》のように純潔な優しいかたですと言ったのよ。すると口ごたえをするといって煙管《きせる》でぶつのですよ。
浅香 ぶったの。
かえで えゝ。ここのところを力いっぱい。(ひざをさする)そしてもういっさい外出はさせないと言いました。
浅香 ひどいことをするものだね。あの人の荒いのはいつもの
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