まざまの現実的事情あるにもかかわらず、永遠に恋愛と結婚との最も祝福された真理であるといわねばならぬ。[#地から2字上げ](一九三四・一一・二六)
四 恋愛――結婚(下)
恋愛のような人生の至宝に対しては、私たちはでき得る限り、現実生活の物的、便宜的条件によって、妥協的な、平板なものにすることをさけて、その精神性と神秘性とを保存し追究するようにしなければならぬ。心霊の高貴とか、いのち[#「いのち」に傍点]の不思議とかいうようなものは、物質を超越しようとする志向の下に初めてなりたつ事柄で、物的条件をエキスキュースにしだしては死滅してしまうのである。だから前回に述べたような現実の心づかいは実にやむを得ない制約なので、恋愛の思想――生粋精華はどこまでも恋愛の法則そのものに内在しているのだ。だからかわいたしみったれた考えを起こさずに、恋する以上は霞の靉靆《あいたい》としているような、梵鐘の鳴っているような、桜の爛漫としているような、丹椿の沈み匂うているような、もしくは火山や深淵の側に立っているような、――つねに死と永遠と美とからはなれない心霊界においての恋を生きる気でなければならぬ。
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おん身はおん身の愛する者のために死にあたふや?
しかり、あたふ。我が愛する者のために死なんはいと大いなる幸福なり。よろこびてこそ死なめ!
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これはイタリアの恋愛詩人ダヌンチオの詩の一句である。
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畏きや時の帝を懸けつれば音のみし哭かゆ朝宵にして
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これは日本の万葉時代の女性、藤原夫人の恋のなやみの歌である。彼女は実に、××に懸想し奉ったのであった。
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稲つけばかがる我が手を今宵もか殿のわくごがとりて嘆かな
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これは万葉時代の一農家の娘の恋の溜息である。
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如何にせんとも死なめと云ひて寄る妹にかそかに白粉にほふ
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これは大正時代の、病篤き一貧窮青年の死線の上での恋の歌である。
私は必ずしも悲劇的にという気ではない。しかし緊張と、苦悩と、克服とのないような恋は所詮浅い、上調子なものである。今日の娘の恋は日に日に軽くなりつつある。さかしく、スマートになりつつある。われらの祖
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