して、地獄に入り給はば、日蓮を如何に仏に成さんと釈迦|誘《こし》らへさせ給ふとも、用ひ参らせ候べからず。同じ地獄なるべし」
 これなどは断腸の文字といわねばならぬ。
 また上野殿への返書として、
「鎌倉にてかりそめの御事とこそ思ひ参らせ候ひしに、思ひ忘れさせ給はざりける事申すばかりなし。故上野殿だにもおはせしかば、つねに申しうけ給はりなんと嘆き思ひ候ひつるに、御形見に御身を若くしてとどめ置かれけるか。姿の違はせ給はぬに、御心さへ似られける事云ふばかりなし。法華経にて仏にならせ給ひて候と承はりて、御墓に参りて候」
 こうした深くしみ入り二世をかけて結ぶ愛の誠と誓いとは、日蓮に接したものの渇仰と思慕とを強めたものであろう。

     九 滅度

 身延山の寒気は、佐渡の荒涼の生活で損われていた彼の健康をさらに傷つけた。特に執拗な下痢に悩まされた。
「此の法門申し候事すでに二十九年なり。日々の論議、月々の難、両度の流罪に身疲れ、心いたみ候ひし故にや、此の七八年が間、年々に衰病起り候ひつれども、なのめにて候ひつるが、今年(弘安四年)は正月より其の気分出来して、既に一期をはりになりぬべし。其の
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