[#一]不[#(レ)][#レ]依[#(ラ)][#二]不了義経[#(ニ)][#一]とある。
それ故に仏の遺言を信じるならば、専ら法華経を明鏡として、一切経の心を知るべきである。したがって法華経の文を開き奉れば、「此法華経[#(ハ)]於[#(テ)][#二]諸経ノ中[#(ニ)][#一]最[#(モ)]在[#(リ)][#二]其上[#(ニ)][#一]」とある。
また涅槃経に、「依[#(ッテ)][#レ]法[#(ニ)]不[#(レ)][#レ]依[#(ラ)][#レ]人[#(ニ)]」とあるからには、もろもろの人師によらずしてひたすら経によるべきである。したがってよるべきは経にして、了義経たる法華経のみ。その他の諸菩薩ないし人師もしくは不了義経を依拠とせる既成の八宗、十宗はことごとく邪宗である。
既成の諸宗の誤謬は仏陀の方便の権教を、真実教と間違えたところにある。仏陀の真実教は法華経のほかには無い。仏陀出世の本懐は法華経を説くにあった。「無量義経」によれば、「四十余ニハ未だ真実ヲ顕ハサズ」とある。この仏陀の金言を無視するは許されぬ。「法華経方便品」によれば、「十方仏上ノ中ニハ、唯一乗ノ法ノミアリテ、二モ
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