して女性を求める心は、おしなべて第一流の人間の常則である。とりわけダンテにとってベアトリーチェは善の君、徳の華であった。
 青春の黄金の日において、悪《わる》ズレ[#「ズレ」に傍点]のした、リアリスチックな女性侮蔑者であるほど悲しむべきことはない。ましてそれは早期の童貞喪失を伴いやすく、女性を弄ぶ習癖となり、人生一般を順直に見ることのできない、不幸な偏執となる恐れがあるのである。
 学生時代に女性侮蔑のリアリズムを衒《てら》うが如きは、鋭敏に似て実は上すべりであり、決して大成する所以ではないのである。すべてを順直にということが青年のモットーでなければならぬ。ませた青年になろうとするな。大きく、稚なく、純熱であれ。それがやがてはまことの知性の母なのだ。
 天地の大道に則した善き人間となりたいという願い、『教養と倫理学』――(「学生と教養」中の一章)の中に私が書いたような青春のなくてならぬもひとつの要請と、やむにやまれぬこの恋のあくがれとを一つに燃えさしめよ。
 善によって女性の美を求め、女性の美によって善を豊かに、生彩あらしめよ。美しい娘を思うことによって、高貴なたましいになりたいと願う
前へ 次へ
全37ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
倉田 百三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング