しかし一生ただ一回の失った恋の思い出だけに生きるということは、人間の浪曼性くらいではまずないことだ。
摂理は別の恋愛を恵むものだ。そして今度は幸福にいく場合が多い。恋を失っても絶望することはない。必ず強く生きねばならぬ。
しかし今日の青年学生にそんな深い失恋の苦しみなどするものがあるものかという声が、どこからか聞こえてくるのはどうしたものだろう。
恋する力の浅くなることは青年の恥である。それはやがて、祖国にささげ、仕事にささげる力の弱さである。
誘惑
悪い方面をあげれば、肉慾狩猟や、「軽薄」のほかに「女たらし」と呼ばれる詐偽的情事がある。すなわち将来学士となるという優越条件を利用して、結婚を好餌として女性を誘惑することだ。これは人間として最も卑怯な、恥ずべき行為である。どんなことがあっても、これだけはやってはならない。これはもう品性の死である。こうした行為をする者が将来社会に出て何を企てるであろうか。そうした品性のものは社会で必ず破滅するものだ。末路は必ずよくない。社会は甘《あま》いものではないのである。
反対にその優越条件に目をつけて、青年学生を誘惑しようとするたち[#「たち」に傍点]のよくない女性があるに相異ない。純良な、世間知らずの学生がこの種の女に引っかかって、あたら青春の記憶を汚す例は少なくない。そのくらいではすまず、かなり大きな傷と負担を背負わされることがある。ことに妊娠というようなことにでもなれば、抜き差しならぬ破目《はめ》に陥ることがある。これは充分警戒しなければならぬことだ。ダンサー、女給、仲居、芸者等いわゆる玄人《くろうと》の女性は気をつけねばならぬ。ことに自分より年増《としま》の女は注意を要する。
男女交際と素人、玄人
日本では青年男女の交際の機会が非常に限られていることは不便なことだ。そのためにレディとの交際が出来難く、触れ合う女性は喫茶ガールや、ダンサーや、すべて水|稼業《しょうばい》に近い雰囲気のものになるということは嘆くべきことだ。もっと男女選択のチャンスの広くなるような、美しい賢明な男女交際の機関をこしらえてやることは社会的義務であると思う。
しかし如何に機会乏しくとも青年学生はその恋愛の相手をレディに求めよ。水稼業の女性はいかに美しく、磨きあげられていても、尋常なレディに及ぶものでは
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