如き懸念から、解放されて社会的風貌を帯びて行くであろう。一方では「社会公共の幸福」なる意味も、第一にその社会公共の意味が、アトム的個人の協定でなく、「我」と「汝」と全体との相互回入の共同態でなくてはならず、その「幸福」の意味も個人的快楽から導かれたものでなく、質的な精神的高さを持ったものに浄化されなくてはならない。かくして真の人間の立場から全体主義の人間倫理学がつくられて行くことが来たるべき史的展望ではあるまいか。
 最後に倫理学の最も深き、困難な根本問題として「意志の自由」の問題がある。
「意志の自由」とは普通には、行為の選択の自由のいいである。一つの行為をなすまいと思えば為さずにすんだのに、為したという意味である。しかし反省すればこれは不思議なことである。意志決定の際、われわれはさまざまの動機の中から一つの動機を選択してこれを目標としたのだ。しかしこの際それらの動機がそれぞれの強さで存在せぬということをわれわれはその瞬間に企てることはできない。故に事実は一つの動機は選ばれないわけにはいかなかったのだ。それを選ばぬことは可能でなかったのだ。リップスによれば、これは疑いもなく決定論であ
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