つぎに人性の千古の悩みである利己か、利他かの問題がある。利己主義《エゴイスムス》には深い根拠があり合理的に、正直に思索するときには誰しも一応は利己主義に帰著するくらいのものである。むしろここから反転して利他主義《アルトゥルイスムス》に飛躍するのが道筋ともいえる。リップスの感情移入《アインフュールング》の説はそのよき弾機であろう。他人の顔にある表情があらわれるのを見ると、同じ表情がわれ知らず自分にあらわれる本能的傾向が人間にはある。現在それが悲哀の表情であれば、自ら悲哀を感じる。これは他人の内生を共生《ミットレーベン》すること、すなわち同情である。利他主義はこの同情という心理的事実にもとづくものである。人はいやしくも他人の願望を知れば、その実現を妨ぐる事情なき限り、自分の願望と等しく、この他人の願望によって規定されずにいられない自然の衝動を持っている。他人との同情はわれわれを利他的行為に駆るのである。利他は利己の打算的手段として起こったもので、畢竟賢き利己であるという説はこれで破られる。しかし利他の動機は確かに利己から独立に存在しても、利己と利他とが矛盾するときいずれをさきに、いかなる条
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