的真理を見る目が覆われているからだ。倫理学はこの道徳盲を克服して、あらゆる人と時と処とにおいて不易なる道徳的真理そのもの、ジットリヒカイトを見出すことを任務とする。
かかる普遍的に妥当なる道徳的真理が存在するか否かがすでに根本的な問題である。たとえば唯物史観的な倫理学は一定の生産関係、ある階級に妥当なる道徳《モラール》のほかは認めないであろう。また種々に道徳を比較し、分析し、記述することを任務とするという倫理学もある。確かにわれわれが倫理的な問いを持つにいたった痛切な原因にはこの時と処と人とによってモラールが異なるところに発する不安と当惑とがあるのである。
これに対してリップスはいう。一つの比論《アナロギー》をとれば、物理的真理において、真理そのものを万物の真相は如何という意味にとれば現在の科学は終局的な解答を与えることはできぬ。しかし真理そのものの本質は何か一般に真理の標識は何か。真理を発見せんとするときわれらは如何なる条件を満たさねばならぬか。真理の認識はいかなる法則に依従するか――。かくの如き意味に真理を解するならその解答は可能である。ジットリヒカイトの場合にも厳密にこれと等
前へ
次へ
全39ページ中14ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
倉田 百三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング