とく「最大多数の最大幸福」を社会理想として実現せんとする、多かれ少なかれ、社会改良運動の実践と結びついたものであり、現実のイギリス社会に影響する所大であったものである。
街頭の実践運動の背後には常に偉大なる思想がある。そして人間を実践的社会運動に駆る思想は倫理的思想である。共産主義の運動への情熱が日本の青年層を風靡《ふうび》し、犠牲的な行動にまで刺衝したのは、同主義の唯物的必然論にもかかわらず、依然として包蔵している人道主義的思想のためであったのだ。正義をもって社会悪を克服するという倫理的な根拠なくして、単なる物的必然力によって、人間は犠牲的奉仕にまで感奮することは出来るものではない。
倫理思想は内側から社会を動かす原動力である。そして倫理学はその実践への機を含んでしかも、直接に発動せず、静かに、謙遜に、しかも勇猛に徹底して、その思想の統一をとげ、不落の根拠を築きあげようと企図するものであり、そこには抑制せられたる実行意志が黙せる雷の如くに被覆されているのである。
倫理学を迂遠であり、机上の空論であるとして軽視するのはただ目先きだけの短見にすぎない。真に社会に善事を成さんとする志
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