ない。が、この際夫としてはなるべく妻を共稼ぎさせないようにするのが夫婦愛であり男の意気地である。妻の方では共稼ぎもあえて辞しないという心組みでいてほしいものだ。
 私の知ってるある文筆夫人に、女学校へも行かなかった人だが、事情あって娘のとき郷里を脱け出て上京し、職業婦人になって、ある新聞記者と結婚し、子どもを育て、夫を助けて、かなり高い社会的地位まで上らせ、自分も独学して、有名な文筆夫人になっている人がある。夫も薄給で子どもをおんぶして、貸家を捜しまわった時代のことが書いてある。その人の歌に、
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事にふれてめをと心ぞたのもしきあだなる思ひはみなほろぶもの
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というのがある。この「めおと心」というのが夫婦愛で、これは長い年月を経済生活、社会生活の線にそうて、助け合ってきた歴史から生まれたものである。
 そして不思議なことには、この人は子どもも可愛がるが、生活欲望も非常に強い。妻らしく、母らしい婦人が必ずしも生活欲望が弱いとしたものでもないようだ。
 子どももなく、生活にも困らない夫婦は、何か協同の仕事を持つことで、真面目な課題をつくるのが、愛
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