ト初めて意義あるものとなるのである。私は私のみの生活というものを考えることができなくなった。彼女を離れて私の生活はない。私らは二個にしてただちに一個なる生命的存在である。私らは二人を歌うのだ。二人を努力するのだ。二人を生きるのだ。
恋は女性の霊肉に日参せんとする心である。その魂の秘祠に順礼せんとする心である。ああ全身の顫動するような肉のたのしみよ! 涙のこぼるるほどなる魂のよろこびよ! まことに sex のなかには驚くべき神秘が潜んでる。自己の霊と肉とをひっさげてその神秘を掴《つか》まんとするものは恋である。最も内面的に直観的に「女性」なるものを捕捉する力は恋である。
いかなる男性が男性として最も偉大であるか。私は女性に死を肯定せしめたる男性が最も偉大であると思う。いかなる女性が女性として最も偉大であるか。私は男性に死を肯定せしめたる女性が最も偉大であると思う。しからばわれらは最も偉大なる性の力を誇り得る二人である。私らは互いに死を肯定した。
[#ここから1字下げ]
御身は御身の愛するもののために死にあたうや。
しかり。あたう。御身は?
もとよりあたう。わが最愛の人のために死なんは最も大なる幸福なり。よろこびてこそ死なめ。
[#ここで字下げ終わり]
これ永遠にわたりて最も心強き獻身的なる犠牲の心である。人間が死を覚悟するということはなかなか容易なことではない。私らは軽々しく生きるとか死ぬるとかいうのを慎まなければならない。しかしながら文字どおりに真実なる表現の価値を背景として、この対話を読みてみよ。これじつに偉大にして、崇高なる生命の大事実ではないか。乃木大将を見よ。大将の自殺は今の私にとり無限の涙であり、また勇気である。大将の自殺は旧き伝説的道徳の犠牲ではない。最も自然にしてまた必然なる宗教的の死である。先帝の存在は大将の生活の中軸であり、核心であった。先帝を失うて後の大将の生活は自滅するよりほかなかったであろう。とても生きるに堪えなかったであろう。私は大将の獻身の対象が国君であったからいうのではもとよりない。ただかくまで自己の全部をあげて捧げ得る純真なる感情と、偉大なる意志とを崇拝し、随喜するのである。
孤独ということはわれらの耳に慣れたる言葉である。私はこの言葉の奥に潜みたる偉大なる意義を想う。ただこの語をわれもわれもと軽々しくいって欲しくない。私らは孤独を口にする前にどれほど自分が純熱に他人を愛し得るかを反省する必要がある。私らはいかばかり他人の魂に触るるに誠実であったか、どれほど自己の魂の口を開いて他人の魂を容れようとしたかを反省してみねばならないと思う。今の私は事実として孤独ではない。私は他人の魂から逃げ出したくない。いよいよ深く頭を突っ込んでその神秘におののきたい。たらたらと汗の出るほど、死ぬるほど彼女が愛したい。人を恋いては死を恐るることを私は恥としたい。
私らは二人の間に産まれたる恋愛をもって私らの生命を意義あらしむる唯一のものとしたい。それによって自己の人格の価値をみずから信じたい。天稟の貧しい私らに何ができよう。それを思えば自分の享《う》けた生がみすぼらしくまた皮肉に感ぜられて自己存在を否定したくなることもしばしばある。けれどその影の薄い私らが、自己の存在に絶大なる充実と愛着とを感じ得るのはただ恋あるがためである。私らには何もできない。けれどもただ一つ恋ができるのだ。互いに死をもって抱擁し、密着《みっちゃく》し、涕泣する崇高なる恋ができるのだ。それだけがわれらの唯一の誇りであり、またそれだけで十分なのだ。考えてみよ。全体人間の技巧なんてぞんがい小っぽけなものではないか。人間の人工的なる功業なんかあんがい小さいものではないか。それよりも私らの放つまじきものは生命の内部より湧き起こる感情である。内部自然の発動である。私はこの「自然」の上に築きあげたる私らの功業、すなわち恋愛を誇りたい。そう思えば私は恋が放したくない。土を噛みても彼女を抱きしめていたい。
私のように複雑なひねくれた頭のものがどうして彼女に対してこんなに純になれるのであろう。軽躁《けいそう》なものがどうしてかくまで誠実になれるのであろう。私はそれが不思議でもあり、また尊くてならない。纒綿として濃やかな、まことにみちたる感情が私の胸のなかをあふれ流れている。
春の目ざめの処女の身体の内部から、おのずから湧き出る恋心は、コンヴェンショナルな女をも自然児に変ずる力がある。その純なる感情の流れに従って生きるとき、女はやすやすと伝説を破って、まこと[#「まこと」に傍点]のいのちに入ることができたのだ。
私は恋愛が肉の上に証券を保ってることが心強くてならない。肉体は生命の最も具体的なる表象である。それだけ最も心強いたしかなものである。肉と肉との有機的なる融着よ! 大きな鮮やかな宇宙の事実ではないか。その結果として新しき「生」が産出されるのかと思えば、胸がどきどきするほどたのもしい。まことに恋愛は肉の方面から見れば科学者のいうように「原形質の飢渇」であるかもしれない。細胞と細胞とが Sexual union に融合するときの「音楽的なる諧和」であるかもしれない。
思えば私は長い間淋しい不安な荒んだ生活をしてきたのだ。それはあたかも霖雨のじめじめしい沼のような物懶《ものう》い生活が今日も今日もと続いたのだ。欠席、乱酒、彷徨、怠惰、病気、借金、これらのもののなかを転っていた私の生活はけっして明るいものではなかった。ぼんやりふところ手して迷児《まいご》のように毎日のように郊外をうろついたこともあった。酒精にたるんだ瞳に深夜の星の寒い光をしみこませて、電信柱を抱いて慟哭したこともあった。
そんな私だもの、恋を放してどうしよう。私はとてもほかのことでは充実できそうにも思われないのだ。私はもうもうあんないやな生活は繰り返したくない。恋がだめなら、私ももうとても駄目だ。私は度胸を据えた。
私はいま実際充実してる。歓喜にみちてる。私の衰弱した肉体の内部からも無限の勇気が湧いて出るのだ。湯のような喜びが生命の全面を浸している。生命が燃焼して熱と力と光とを蒸発する。私はいまさらながら高き天と広き地との間に心ゆくばかり拡がれる生命の充実を痛感する。ああ私は生きたい。生きたい。彼女を拉《らっ》して光のごとく、雲のごとく、獣のごとく、虫のごとくに生きたい。
げに恋こそはまことのいのち[#「いのち」に傍点]である。私はこのいのち[#「いのち」に傍点]のために努力し、苦悩し、精進したい。すべてわれらの恋によきほどのものはことごとくこれを包容し、よからぬほどのものはことごとくこれと戦って征服しなければならない。
私の今後の生涯はこの恋愛の進展的継続でありたい。私らが恋の甘さを味わう余裕もなく、山のごとき困難は目前に迫って私らを圧迫している。私らは悪戦苦闘を強迫された。ああ私は血まみれの一本道を想像せずにはいられない。その上を一目散に突進するのだ。力尽きればやむをえない。自滅するばかりだ。
[#地から2字上げ](二十二回の誕生日の夜)
[#改ページ]
自然児として生きよ
――Y君にあたう――
私はまずあなたと共に「生」というありがたき大事実を信仰したい。それからあなたと私とがともに生き(mitleben)てることを信仰したい。それから後初めて私の言いたいことをあなたに述べさせていただきたい。他人の生活態度と自分の生活態度と異なっているとき私らはどうすればいいであろうか。これは対人関係について神経質な私にとってはかなり煩わしい問題である。ひと口に異なった生活態度といってもその異なり方にはいろいろある。私はもとより個性の多様性を認めるものであるから、たとい生活態度は異なっていても、その態度がその人の本然の真実より、すなわち個性の必然より生ずるものと信じらるるならば、その態度を理解し、尊敬することができる。真実の友情はここに根底を置くべきものであろう。またその態度が土台から人格的の憎悪と軽蔑とを感じさせるようなものであるならば、頭から征服的の態度に出でてもいいかもしれない。けれども彼我の間には一脈の呼吸が隠々として通いながらも、その人の認識が深刻でないために、概念的の錯誤から、外面的には著しく異なった――というよりも相そむかねばならぬほどの態度が生じているのだと自分には思われるときにはどうすればいいであろうか。このとき自分の生活を乱さないように守りながら、黙って自分の道を歩いて行ける人はいい。私にそれができるならば、それほど他人の存在に無関心でいられたならば、私の内部動乱はいかほど少なくて、安易な心を持して行けるかしれないのである。けれどもすでにそれができないとすればどうすればいいか。私には皮肉はいえない。どうしても率直にいうよりほかはない。私はあなたと私とをそういう関係において見いだすものである。だからなにとぞ私があなたの内生活に深く立ち入って手きびしくいうことを許していただきたい。
Y君、私は自分を Moralist だと信じている。私は固形体の状態から灼熱、鎔解して流動体となり、さらに光を発するほどの精醇な Morality というものに向かって純なる憧憬を持つものである。私はこのモーラリチーというものに対してきわめて広い意識を持つものであって、芸術の根底を支えるものもこの道徳性だと思ってる。このことは幾多の芸術家の反対あるにもかかわらず、私はそう信じているのであって、トルストイなどのいう意味よりも、もっと芸術的な意味で私はいうのである。私はいかなる人であってもモーラリストでなければ尊敬することができないのである。私は私の友にあたえた手紙の一節に、「社会の道徳的(哲学的、芸術的、宗教的ということを一語にふくめてかくいう)[#()内の文字全てに傍点、ただし読点をのぞく]教養の今日のごとく幼稚な世に私は生まれて来べきものではなかったのだ」と書いたのを記憶している。私は道徳という語をこれほどの意味で使いたいのである。とにかく、私はあなたがそう認めてくれるとくれないとにかかわらず、私がみずから道徳家だと信じてることをいっておかねばならない。でなければ何のために私があなたにこの書をあたえるかが解るまいと思うからである。
私はあなたがモーラリストであると信じる。そしてその点においてあなたを尊敬する。しかしあなたの言動を見るときに、あなたのモーラリチーというものを私は深刻だと思うことができない。そして心細い感に打たれるのである。
第三学期全寮茶話会の夜、私はあなたの演説を聞いた。あなたはまさに本校を去らんとする三年生一同の総代として告別の辞を述べられたのであった。私は初めあなたが壇上に立たれたとき不快の感に打たれた。元来総代などというものは、それ自身よほど無理なものである。心あるものは平気で総代なんかになれるものではない。自分の生活に深刻であればあるほど個人、個人の生活の複雑多様なことを感ぜずにはいられない。数百人の感想を一人で代表して述べるなどということは無理なばかりでなく礼を欠くことである。ことにあなたのようにその感想がややもすれば共通的性質を離れて著しく主観的になりがちな人においてはいっそうのこと遠慮しなければならない。私がもし仮りに三年生であって、あなたの感想が私のを代表してるものとしたならば――いやそれほどでなくとも今年の三年には現にF・S君のような人がいる、F・S君をあなたが代表するなどということは傍から見ていて危うくてたまらないことである。
けれどもあなたは、私は多数の感想を独りで述べることは無理だから、私一人の感想を述べるとことわられた。また私などは適任者ではあるまいがと謙遜された。――おそらく誰だって適任者ではあるまいが――私は非常に嬉しかった。また安心した。
で私はここにあなたに反省を促すべき第一のことに逢着する。全寮茶話会の夜は無事に済んでよかったが、あなたはこれに類する、他人の思想を僭するような危険な地位
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