髓n位の厳粛なることを痛感せずにはいられない。知識の拡張は同時に自由の拡張である。無機物より有機物に進んで、人間に至るに従い、意志はしだいに明瞭に、認識は階段をなして発達しきたっている。すなわち生命はしだいにおのれ自身を認識してきている。それと共に自由はしだいに拡張せらるるのであろう。しかしながら氏のいうごとく自然現象と意識現象との間に前者は必然にして後者は自由であるというような絶対的の区別があるとは思えない。今日の生物学が言うように無機物にもなおきわめて低き程度の意識を許さねばならないならば、同時にきわめて低き程度の自由をも認めなければなるまい。自由は要するに程度の問題である。無機物より人間に至るまで実在の自己認識の努力の発達に従いてしだいに高き程度の自由に進むと考える方が、いっそう氏の思想を徹底せしめないであろうか。われらはこの自由の発展的過程の階段に立てるみずからを発見することに大なる喜悦を感ずるのである。
しかしながらわれらがここに疑問を起こさざるを得ないのは行為の自然ということと、自覚ということとははたして矛盾なく調和せらるるかという問題である。氏の自由とは内面的に自己の本
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