ロにおいてはある一定の事情よりは、ある一定の現象を生ずるのであってその間に毫釐《ごうり》も他の可能性を許さない。全く盲目的必然の因果関係によりて生ずるのである。しかるに「知る」ということには他の可能性が含まれている。歩むことを知るというには歩まずとも済むという可能性が含まれている。われらの行為がたとい必然の法則によりて生ずるともわれらはみずからそれを知るがゆえに自由なのである。われらは他より束縛せられ、圧抑せらるるとも、みずからそのやみがたき事情を知るときにはその束縛、圧抑を脱して安らかな心を持することができる。天命の免れがたきを知り、自己のなすべき最善のことをなして毒盃を含んで自殺したるソクラテスの心境はアゼンス人の抑圧を超越して悠々として自由である。氏はパスカルの語を引いて、「人は葦《あし》のごとく弱し。されど人は考うる葦なり。全世界が彼を滅ぼさんとするとも、彼は死することを自知するがゆえに、殺す者よりもとうとし」といっている。われらはここにおいて認識なるものに対して驚異の目を見張らざるを得ない。認識能力が人間の無上の天稟であり、めでたき宝であることを思い、認識が人生において占有す
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