Bわれらの思惟の根底には明らかにこの知的真観[#「真観」はママ]が横たわっている。われらは実在の根本に潜む統一的或者を思惟の対象として外より知ることはできないけれど、みずから統一的或者と合一することによりて内より直接に知ることができるのである。時間空間に束縛されたるわれらの小さき胸のなかにも実在の無限なる統一力が潜んでいる。われらは自己の心底において宇宙を構成せる実在の根本を知ることができる。すなわち神の面目を捕捉することができる。ヤコブ・ベーメのいったごとくに「翻《ひるがえ》されたる目」をもてただちに神を見るのである。かくいえば知的直観なるものははなはだ空想的にして不可思議なる神秘的能力のごとく思われる。あるいはしからずとするも、非凡なる芸術的、哲学的天才のみの与《あずか》ることを得る超越的認識のごとく思われる。しかしけっしてそうではない。最も自然にして、原始的なるわれらに最も近き認識である。鏡のごとく清らかに、小児のごとく空しき心にただちに映ずる実在の面影である。

[#ここから1字下げ]
 知的直観とは純粋経験に於《お》ける統一作用そのものである。生命の捕捉である。即ち技術の骨の
前へ 次へ
全394ページ中71ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
倉田 百三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング