フ花が品高く匂い出ているにも似て、われらに純なる喜びと心強さと、かすかな驚きさえも感じさせるのは西田幾多郎《にしだきたろう》氏である。
 氏は一個のメタフィジシャンとしてわが哲学界に特殊な地位を占めている。氏は radical empiricism の上に立ちながら明らかに一個のロマンチックの形而上学者である。氏の哲学を読んだ人は何人も淋しい深い秋の海を思わせらるるであろう。氏みずからも「かつて金沢にありしとき、しばしば海辺にたたずんで、淋しい深い秋の海を眺めては無量の感慨に沈んだが、こんな情調は北国の海において殊にしみじみと感じられる」と言っていられる。まことに氏の哲学は南国の燃え立つような紅い花や、裸体の女を思わせるような情熱的な色に乏しく、北国の風の落ちた大海の深い底を秘めて静まり返ってるのを見るような静穏なものである。その淋しい海の面に夢のように落ちる極光のような神秘な色さえ帯びている。色調でいわば深味のある青である。天も焦《こ》げよと燃えあがる※[#「火+稻のつくり」、第4水準2−79−88]の紅ではなく、淋しい不可思議な花の咲く秋の野の黄昏《たそがれ》を、音もなく包む青ばん
前へ 次へ
全394ページ中60ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
倉田 百三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング