B唯我論は動揺せねばならない。いわゆる、利己、利他の行動は、本来この偉大なる渾一体としての意志の発現ではあるまいか。本体界の意志という故郷を思慕するこころは宗教の起源となり、愛他的衝動の萌芽となるのではあるまいか。これじつに遠深なる形而上学の問題である。
 何が人生において最もよきことぞと問い顧みるとき、官能を透してくる物質の快楽よりも、恋する女と、愛する友と相抱いて、胸をぴたりと融合して、至情と至情との熱烈なる共鳴を感ずるそのときである。魂と魂と相触れてさやかなる囁きを交すとき人生の最高の悦楽がある。かかるとき利己、利他という観念の湧起する暇は無いではないか。もしかかる観念に虐げられてその幸福を傷つけるならば、その人はみずからの気分によりてみずからを害《そこな》うものである。気分というものは人生において大なる権威をなすものだ。君は君の本性と正反対の気分をもって反動的にイリュウジョンを作り、それに悩まされているのではあるまいか。
 君は他人は自分の「財」として、すなわち自分の欲求を満足せしむる材料としてのみ自分にとって存在の理由があるという。しかし、ここが問題である。私は他人との接触そ
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