はしかたがないことと願わしいこととはどこまでも厳密に区別したい。そして願いが正しいかぎりはしかたのないことと諦めないでそれが正しく成就される土を求めたい。自分は思い出さずにはいられない。自分が広島のある病院に長く入院していたときに、肺の悪い一人の夫人(その夫人はすでにみまかり、自分の忘れ得ぬ人々の一人となっているのであるが)のところへある僧侶が迎えられて、法話に来ていて、そこへ私も招かれて席に連なって聞いた日のことを。そのときその柔和な僧侶はいっていた。「仏は自在身でなければならない。物はこの煙草盆《たばこぼん》であれば、同時にこの薬瓶であることはできない。人は王であれば比丘《びく》であることはできない。じつに不自由なものである。しかし仏は同時に王であり、比丘であり、煙草盆であり、薬瓶であることができる自在身である。そしてすべての人のすべての用に奉仕することができるのである」と。私はそのとき深く感動したのを忘れることができない。あの法華経の観世音菩薩普門品《かんぜおんぼさつふもんぼん》のなかに「応以童男童女身。得度者。即現童男童女身。而為説法。応以天竜。夜叉。乾闥婆《けんだつば》。阿修
前へ
次へ
全394ページ中385ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
倉田 百三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング