こそ作者がその作を書いた生命であって、そのほかの点で褒《ほ》められても貶《けな》されても作者の心には適わないものである。人はあの西国巡礼の歌を聞くとき、それに強い劇《はげ》しさが現われていないからと言ってそれを貶するであろうか。もしそういう人があったら、その人の気持ちはあの巡礼の歌を聞くのに適わしくないというまでのことである(もとよりそういう気持ちでないときも、またそういう気持ちにばかりなっていられないときもある)。人生に対する悲哀と無常の意識――それはもはや滂沱《ぼうだ》たる涙となって外に流れないけれども、深く深く心のなかに内攻し、その人の世相を眺める目はかぎりなき悲しみを内に秘めているような気持ち、いわば一種の喪の気持ち、そういう気持ちであの芝居を見てくださることを作者は望む。それは人生を享楽する気持ちではむろんない。人生において戦う気持ちでもない。人生を観照するという気持ちはやや近いがやはり違う。愛を内に湛《たた》えた目でこの世のあるがままの相を眺め護る、いわば人生の相のなかに仏を見いだす心持ちである。そういう心持ちであの芝居は見て貰いたい。あの作のモチーフはそこにある。それ以外
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