かになくてはならない。突っ込むとか、鋭いとか、力強いとかいうのは、そんな外面的なところにあるのではない。自分一個の理想をいえば、自分は芸術の極致は万有の間に在るハーモニー――静けさを描くにあると思っている。恐ろしいこと、酷《むご》たらしいこと、恥ずかしいこと、悲しいことを持ちながら、しかも調和した善い世界を描き得る(無理の感じなく)に至るところにあると思っている。仕事場にあっても、家庭にあっても、教会にあっても、絶えず心がいらいらする、レフュージを芸術に求むれば胸を刺し貫くようなことが何の痛ましげも、なだめるような調子もなく、むしろそれを喜ぶように書いてある。近代人は不幸である。
一、今の文士は一般に著しく好色である。成熟した男子に性欲のあるのはやむをえないことである。しかしこの悪しき欲望を(これについては自分は「地上の男女」という題で詳しく書いた)みずからに許してはならない。純粋という徳は芸術家にはことに望ましい。女に対してずるいのが今の文士を他の何よりも卑しく見せる。下品に見せる。私は孤独な純潔なニイチェを思う。あの『貴族の家』に出るみずからを雲井のひばりに比べ、野の百合《ゆり》
前へ
次へ
全394ページ中354ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
倉田 百三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング