はいられない、恋をしている青年が、ある文士が温泉に行って一人の舞妓と関係し、また一人の芸妓と床をともにするために、その舞妓を人形芝居に欺して連れて行かせるというようなことを中心興味にした作品が本気で読めるだろうか。心のうちに真面目な煩悶を持っている者は、物足りなさを通り越して、不愉快を感ずるであろう。多くの文士は興味の置き所が人心の深き願いのうちに無いゆえに、その感情には何よりも永い感じ[#「永い感じ」に傍点]が欠乏している。たとえば「別れ」というようなものは人生の深い深いイーヴルである。ただその一事のみにて人生は厭うべきものといってもいいほどのイーヴルである。しかもそのようなものは今の文士には大した苦にはならないようにみえる。「彼《か》の世」のことなどはまるで問題にならないようにみえる(釈迦はそれを非常に苦にしたが)。これに反して皮肉《アイロニイ》というものに対して異常な興味を示している。皮肉という感じは人間が真に本気になって何者かに関心しているときにはけっして起こり得ないものである。たとえば手術を受けるために手術台に寝ているとき、愛する者の臨終に侍しているときなどには起こり得ない。
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