るのはやむをえないことかもしれない。しかし悪いことである。遊蕩や姦淫を当然のことのごとくに行ない、それを芸術の資料(かかる作品にかぎって倫理的苦悶などは重要な要素を成してはいない)にし、それで衣食するのは恥辱である。かかる芸術家を世間が軽蔑するのはやむをえない。文壇に出る多くの告白的作品なども私は告白者に同情できるのは稀《まれ》である。裁判所に訴訟を起こすということは芸術家としてはそれ自身恥辱である。まして自分の妻と法廷で争うことは恥辱である。しかも金銭問題で。自分らの不幸を、それが真面目な原因であればあるほど、自分らの平常軽蔑している法官に裁いて貰うのは恥辱である。それがやむをえないことであっても、それを恥じる気色もなく告白するとは何事か。かかることに関しては私らの前にキリストの高い高い標準が置かれてあるではないか。たといそれを実行できなくても、比べて恥じることは誰にでもできる。私は一般に今の文士が周囲の平和を乱すことを恐るる心に乏しいのを非難したい。因襲や伝説の虚偽と不合理に対して戦わなければならないのはもはや自明のことである。私のいうのはもっと微妙な心持ちである。他人の心の平和を
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