か。氏はけっして論争しない。真に説服するには論争の無効であることを知るからである。氏はたとえば利己主義者に愛の真理であることを説服するためには、その人の思想には直接関係が無いけれども、必ずその人に要する雑用(たとえばその人が渇いていれば一杯の水を汲んで来てやる、履《くつ》の紐がとけていれば直してやるというようなこと)を奉仕してゆくことから始める。もしイズムのことなど論じ合えば、相手がただちに反撥し、その心が閉じるからである。しかし愛と祈りをもってする奉仕は対手の心を動かすからである。私は論争好きな文士に、ただちに西田氏の真似をせよとはいわない。しかし自分のやってることと、氏のやってることと比較してみるがいい。そして少しは恥じるがいいと思う。遊蕩するにしてもそれを恥じつつするがいい。他人の妻と恋することがやむをえないときがあるにしても、その夫の心の受ける傷、その子供たちの運命の損うことを、死を願うほどに悲しむべきである。『アンナ・カレニナ』でも私はアンナの夫の苦痛に深く同情せずにはいられない。当然のことのごとくに思ってはいけない。やむをえないことと、正しいこととは別事である。人間が殺生す
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