然上人のいわゆる「一人にて念仏申さるる人」は「妻帯して念仏申さるる人」よりも業の浅き人である。「何事も宿縁まかせ」にてこれをしいて固執することはできないけれども、身を聖潔に保ち得ることは望ましきことである。身におのずから戒相の備わる人は真に尊い人である。かようなことは小さきことであると私は思いたくない。罪はいかに小さくとも恐ろしい。親鸞聖人はその貞潔のゆえに、きっと法然聖人を尊敬せられたであろうと思われる。蓮照坊《れんしょうぼう》は信心決定した後も、敦盛を殺したことを思い出すごとに、胸を打たれたに相違ない。殺生や姦淫を予想する肉食妻帯について、あまりに鈍感になることは真宗信徒の恥辱である。
[#地から2字上げ](一九一七、秋)
[#改ページ]
地上の男女
――純潔なる青年に贈る――
肉体的要求を、ただ肉体的要求なるがゆえに悪しと見る思想が斥《しりぞ》けられてから、近代の教養を受けたる人々は、官能の要求に多大の価値を認めてきた。しこうしてそれは正しき主張であった。けれども軽卒なる近代人は、近代の文化が一般にその上を迷いきたる外道に導かれて、多くの重要なる錯誤に陥った
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